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2016・9月〜2017隙間脳トレ(大阪探求珍道中)

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2016年 9月 9月-3 10月-1 10月-2 10月-3 11月-1 11月-2 11月-3 12月 

 2016年9月 事の発端は英会話クラスの課題をどうしようかなと困ったところから始まった。英会話のイベントには「基本の基」クラスと合流してからは『スキット』『何かについてA4サイズ2ページ文に英語で書くこと』(これは二人ずつ組になってお互いの物を読み合い、わからないことがあれば質問をする。もちろん質問も答えも英語でである。)『英語の歌を歌う』その3つが行なう主な内容である。その二番目の課題が困ってきたのである。一度目は「他のメンバーさんに知らせたいこと」あと何度目かは定かではないので、順不同で書き連ねる。「映画を観てその感想」「本を読んでその感想」「自分の得意なことについて」など、そして直近は「なんでもいい」でした。この課題のテーマを決めるのがだんだんネタ切れで困りました。そのとき大阪検定の事を思い出しました。つまり、われわれが英会話クラスで練習しているのは何のためかということ。2020年の東京オリンピックに来日された海外の方々が大阪まで来られて、そこでもし困っておられたら、助けの手を差し伸べたい。そして出来る事なら大阪の魅力も英語で伝えられたら、なんて素晴らしいことなんだろうと思うようになってきた。そのためには大阪の事を良く知り、そこから、課題の部分を切り取ってメンバーさん達に選んでもらう。そしてそれを各自英語に直して作品にしてもらう。そういう課題なら2020年までずっと続けることもできる。分野も多岐にわたっている。もし、他府県のことをやりたいという人が出てきたら、それはそれでいいだろう。以上が私が大阪探求珍道中を始めた理由です。このページは2017年の末日までのつもりだが、それに到達するまでに、私は一度でも検定に受かるのか?
 
 2016.9.4  大阪梅田〜南森町
 
 生まれて初めての「大阪探求珍道中」第一回目。本当はグランフロント大阪のあと、茶屋町。歯神社、露天神社、大阪市の道路元票(げんぴょう:道路の起点と終点を示す標識)を見て蜆橋跡碑を見てから、大坂天満宮の方に行くつもりであった。ところが、どうやら、茶屋町への北へ曲る道を一筋間違えてしまったみたいで、とんでもない所に行きそうになった。仕方がない、タクシーに乗ってお初天神に連れて行ってもらうことにした。ところが、そのタクシーの運転手さん、お初天神を知らない。「では、大阪天満宮(創始は949年と伝わる。元は大将軍社会だったが、大宰府への途中に道真公が参拝。没後50年に同社境内に祀られた。)へお願いします。」といっても、今一打てば響くような返事が返ってもないばかりか、スマホで音声検索している。仕方がない「天神橋筋商店街(日本一長いと言われています。2.6キロメートル。)はご存知ですか?」と訊くと「何丁目です?」と。後で聞けば「天六天六!」と教えてくれたメンバーさんもいたが、その場合は「6丁目」といえばよかったのか?初めて天神橋筋商店街に行くものにとっては「何丁目ってどゆこと?」というわけで「まあ、とにかく、そこらへんで下してください。」と頼んだ。とにかく、大阪天満宮()にお参りして、その日お休みの天満天神繁盛亭の写真を撮った。彦八祭りの最中だったのにね(米沢彦八は1670年台大阪の野天での「辻噺』を始めた上方落語の祖といわれている。ほとんど同時期に京では露の五郎兵衛が辻噺を始めている)。疲れてお腹が空いてきたので、天神橋筋商店街のうどん屋さんできつねうどんを食べて帰りました。JRの天満宮駅と、地下鉄堺筋線、谷町線の南森町駅とが、入り口が同じで、ものすごくわかりにくかった。行きには気づかなかったが、天王寺駅の改札辺りも少々変わっているように思った。あと少しで、家に帰りつく・・・
 2016.9.13  ビデオでの学習。 生まれて初めてじっくり見た文楽。
 
 大阪検定には日本の芸能が問題として出る。中でも、文楽は見たことがなく、何とかしなければと考えてDVDを購入することにした。そうすると、なんとメイン(浄瑠璃では主に「三段目「切」)をピックアップしてまとめてあるDVDだった。(ラッキー☆)。演目は●一番上の画像:『三十三間堂棟(むなぎ)由来』三段目の「切」である『平太郎住家の段』が独立してそれとなっている。柳の精のお柳が柳に戻り切り倒されてしまうがお柳と平太郎の息子みどり丸が綱を引くと動かなかった柳の木が動き始める。●中段の画像:『妹背山女庭訓(ていきん)』三段目の『山の段』。舞台中央に流れる吉野川を挟んで親同士が仲の悪い妹山(いもやま)家と背山(せやま)家。妹山の娘と背山家の息子は想い合っているのだが、添わせることもしないうちに蘇我入鹿に二人を差し出せ(男は家来に、女は妾に)といわれ、二人は死を選んでしまう。日本版ロメオとジュリエット。●下段画像:『平家女護島(にょごのしま)』二段目『鬼界が島の段』。俊寛がようやく許されることになったのだが、丹波少将成経(なりつね)と結婚していた海女の千鳥は船に乗れないということで、自分が島に残ることを条件に千鳥を乗せてやる。だが、一人残る俊寛は慟哭をこらえきれず、遠ざかる船を岩の上からいつまでも見送る。文楽という名は19世紀初頭、淡路出身の文楽軒(雅号)という人物が大坂に出て芝居興行を始めた。その三代目の上村文楽軒(文楽翁)のとき興行の才に恵まれ文楽軒の芝居として人気が出た。以後、その劇場を『文楽座』と呼ぶようになった。
 2016.9.18  大阪モダンビルディングめぐり 9/4は本当はこちらに行きたかった。やっと行けて大満足。中之島〜堺筋本町
 
 今迄点でしか知らなかったところがなんとこんな風につながっているのか・・・と感心しながら、興味深く歩いた。恐ろしいことに、家の中ではばたばた走り回っているくせに、外へ出た途端つまり、コンクリートの道路を歩こうとすると、最初なかなかまともに歩けなかった。「おかしい、今家から出てきただけなのに熱中症になる訳ない。きょうは太陽が照っていなくて、ほどよい風もあるというのに。」と自分に言い聞かせた。ほんとギクシャクとした歩き方しかできず、他人の足で歩いている感じがした。五代友厚さんに会う頃にはまともに歩けていたと思う。びっくりしたのか、収穫だったのかわからないが、いつも行っていた歯医者さんが廃業されるということで、それならば、次はこちらにお世話になってみるか?と思っていた歯医者さんを見つけたこと。堺筋本町まで来ないといけないのかと気持ちが重くなる。歯の手入れをきちんとすればいいことなんですよね。しかし商工会議所にはびっくりしました。なんですか、あの一階のガラス張りは。私の知っている50年ほど前の商工会議所って、もっと全然違う雰囲気の物だったと思うけど・・・イヤー然し楽しかったです。身体は「かなわん」と思ったでしょうが。
ところで、画像に一生懸命入れた文字が本と読めないですね。来年の隙間としてバインダーに挟んでおきますからご覧になりたい方はいつでもどうぞおっしゃって下さい。画像をクリックして頂くと大阪三郷についての説明を読んでいただけます。
 2016.9.22  大阪東住吉区長居公園探訪ーVOIS(Visiting Osaka and Inquire something)ー4
 
 入る前に看板の地図を見ていたのに、なぜか右回りをしてしまった。うかうかと公園の入り口から中へ入って行ったのが間違い。歩けども歩けども植物園の入り口に到達しない。やっと見つけて花と緑の情報センターに入って、コーヒーとソフトクリームを頂きながら、しみじみと、「植物園はもう無理!」と思った。資料館の昆虫や動物のサンプルを見ながら、襲ってくる睡魔に抗(あらが)うのが精一杯だった。いつの日か、何かのチャンスがあれば、植物園にだけやってこようと思う(しかし実現するときがあるのだろうか)。自動販売機に書かれたCerezo(これで「セレッソ」と読む)、スタジアムにでかでかと書かれたヤンマースタジアムの文字。セレッソの母体がヤンマーだということがいやがうえにもわかる。カンカン照りではなく、気温も台風一過以来少し下がっているのが、助かったこと。それとタクシーを使わずに家に帰りついたことが自分自身をほめてやるべきことだろう。メガネをどこかで落としたことが残念。駅員さんに訊くことすらしなかった自分が情けない。ごめんよメガネ。予備のメガネを入れていてよかった。
 2016.9.25  天王寺七坂とその周辺探訪ーVOIS(Visiting Osaka and Inquire something)ー5
 
 上の画像をクリックしてください。七坂について位置関係など描いております。
この日は主人が車で付き合ってくれた。だからこそ天王寺から七坂とそれにまつわるお寺を回りつつ高津神社、三光神社、玉造稲荷神社、カトリック玉造協会、そして、難波宮跡までもまわり、最後に又四天王寺の東大門まで戻ってこれたと思う。七坂はあまり年取るとまわることは出来ないなとしみじみ思う。坂を上るのも、ましてや注意深くおりることなど、今にできなくなっていくだろう。
一人で歩いて回ったら何日もかかるところを一日で回ってくれて、感謝しています。
それによって空いた時間を有効に使わないと。
 2016.10.2 堺市の百舌鳥野、羽曳野市の古市古墳群を見てきました。
 
何年か前、 唯一 仁徳天皇陵(大仙陵古墳)のみ、周囲を歩いたことがあった。その後すぐ向かいにある大仙公園の日本庭園も歩いたことがある。だからそこ以外のところに車で連れて行ってもらった。なんといっても圧巻は堺市市庁舎の21階からの展望であった。休憩所も充実。その後お寺や神社に沢山行き、通り道に小規模な森のようなもの(ほとんどすべてが古墳)を一杯見つつ回れるだけ回ってもらいました。いくつも回ると商売の上手そうなところとそうでないところなど、いろいろわかって面白いなと思う。ただ、賽銭がたくさん必要な事と手を清めたあとの手拭用のタオルハンカチがびしょびしょになる事など注意するべきことがあるなと思う。
 2016.10.11 以前行きそびれた茶屋町やお初天神、それと法善寺横丁やグリコの看板で有名なえびす橋界隈に行ってきました。
 
 北の茶屋町にある「綱敷天神社御旅所」やJR高架の谷間の「歯神社」などに参ったあと、都市にある神社なんてこんなにこじんまりしたものしかしょうがないのかと思いつつ行った「露天神社(お初天神)」やミナミの代表のような「法善寺横丁」などはよくやっているなと思うぐらい大きい。といっても前者二つの神社を回った後だからそう見えたのだとは思うが。夫婦ぜんざいは本来は一杯の量を二つのお椀に分けているだけだから、量的にも丁度いい。疲れた身体には美味しかった。戎橋に向かう道を歩いていると、ほんと日本語以外の言葉ばかりが聴こえる。以前から、そのことは聞いていたが、今回初めて実感した。また今回初めて色々周ってきて思うことはいろいろな「資料館」というのが意外にあちこちにあることがわかる。だから、時間的に短い時もしくはエネルギー的にも不安な時は一つずつの資料館や博物館を回るのもいいなと思う。
 2016.10.16  メンバーのよねちゃんに平野と深江につれて行ってもらいました。
 
 よねちゃんの助けを得て、随分充実したコメントが入れられました。↑↓
 
 長寶寺〜平野公園↑
 
 よねちゃんの故郷でもある東成区の深江につれてきてもらいました。長い長い塀の豪邸がアッチを見てもこっちを見ても。見られる。深江の中でも特にこの辺に集まっているらしい。最近は訪れる観光客も多いからと、街角にはプレートが設置され、新しくわかりやすいパンフレットも出来たらしい。「我が街」を大切にするというのはいいことだと思います。下見までしてくださり、お付き合いしてくださったよねちゃんには心から感謝いたします。
 2016.11.3  中央区、西区探訪 白髪橋〜国立国際美術館
 
↑うつぼ公園ではバーベキューは出来ませんが、ゆっくりと風景を眺めながらお弁当を食べることが出来ました。なかなか楽しかったです。 
 
中央区西区探訪で時間が余ったので、中之島探訪の一部、東の橋の剣先にある大噴水と東洋陶磁美術館を見学。そののち国立国大美術館の外観を撮影。東洋陶磁美術館で、最後の方、しんどいという意識より、「気分が悪い」意識の方が強くなってきた。たまらなくなって、最後にその美術館のティールームで休憩。さすがにその美術館だけあって、カップやソーサーがロイヤルコペンハーゲン製。甘いケーキとコーヒーとですくわれました。上の画像をクリックして、なぜ「座間神社」を「いかすりじんじゃ」と読むのかを確かめください。 
 2016.11.6  住吉大社、住吉公園→大阪歴史博物館 
 
 ↑念願の住吉大社。太鼓橋は予想通りだったが、まあ、その伽藍というか建築物というかそれの多さにビックリ!もっとだだっ広い感じかと思っていたが、全く違い、その建物の多さと人の多さとで、むしろ狭苦しく感じるぐらいだった。久しぶりに七五三参りの子供たちの着物姿を見て、なんだか微笑ましかった。うつぼ公園に行ったときも楽しい公園だなと思ったが、この住吉公園も地域の人たちに愛されているええ公園やなあと思いました。
 
 この博物館も念願の物だった。これはミニチュアの建物に心をつかまれて、もっと入り浸っていたかった。そうそう、最初に「プロローグ」として見せられる3分間の「水の都」のムービー、素晴らしかった。何一つナレーションもなく、黙ってみるだけだが、心ではへぇーほぉーと言いつづけた。何度も休みながら、ゆっくりゆっくり見たいところ。休憩用のいすが要所にある。寝ている人もいたようだ。気持ちわかるなぁ。
2016.11.12  造幣局〜藤田美術館〜毛馬閘門〜ほたるまち
 
 ↑造幣局の通り抜けには行ったことがあっても、造幣局の陳列物をみたことはなかった。実はまったく見る気はなく、というか、そういう事が出来るのかどうかも知らなかった。そうすると、「造幣博物館」というのがあって、いつでも空いていて、なんと無料とある。太っ腹やねぇと思いながら入ろうとすると、入り口で、名前と入館時間を書かされて、しかもバッジを「付けておくように」と渡された。まぁなんでもいやとあまり期待せずに入った。とにかく今日もあちこち周りたいから、こういうところで、時間を取っている場合じゃなかった。ところで、入ると、私の好きなミニチュアというか、ジオラマというか、それの結構精巧なものが2カ所もあって、「うわぁ・・ゆっくりみたいなぁ」と思ったが、そうもいかず。
おまけに五代さんもかかわっていたのか(コイン製造機械をイギリスから買うのに一役買ったらしい)彼のレリーフに「こんにちは、お導き有難うございます」とあいさつして、後ろ髪を引かれながら造幣局をあとにした。出るときにバッジを返して出たときの時間を書いたが、私より下に5〜6人の名前があった。なんとその方たちの滞在時間の短いこと!次に向かった藤田美術館の横に太閤園があると言うので、そこで腹ごしらえ。何せ早朝食べただけで、もう12時を過ぎていた。低血糖症状甚だしく、ぶっ倒れそうだったので甘そうなクリーム付きの腹持ちのよさそうなケーキを選んでサンドイッチと食べて、いざ藤田美術館へ。そこでも、時間を食ってしまった。つまり、藤田伝三郎という人は、廃仏毀釈のおりに日本の伝統がどんどん外国に出て行くのを知って、これは私財をなげうっても収集しておかないと末代までの悔いが残ると、買い集めたらしい。おかげで今私達が見せてもらえる。何がいいって、書きつけの古文書をきちんと解読してくれている所。おお、そうそう、この字はこう読むのだったなと思い出しながら見て行くと、まー時間がいくらあっても足りない。しかし、9月18日に行った○○美術館とは比べ物にならないぐらい充実した時間を過ごさせてもらった。ああ、時間を取ってしまったと、毛馬の閘門へはタクシーを飛ばした。
そうそう、上の画像をクリックされますと昔の貨幣の事がわかります。昔は4進法だったのです。
 
 毛馬の閘門ではぜひとも水面の高さの違いを写真に取れないものかと真横まで行ったが、その辺は立ち入り禁止ばかり。まあ、危険だからということだろうと思うが。仕方がない、そこを通り越して淀川サイドまで行ったが、あちこち写真を撮るだけで、つまらんなと思っていた。毛馬閘門はかなりの北なのだ。ところが、ふと見ると、なんと船がやってくるではありませんか!これはしめた!とゲートの間を見られるところはないものかと急ぎ足で歩き周ったら、なんと、立ち入り禁止になっていない花壇風の所があるではありませんか。やれ嬉しやと登って行くと、柵の際まではいけない。仕方がないから花壇の周囲のコンクリート部分(30cmほど高い)に乗って船を待った。そうすると三艘いるではないですか。で、まず淀川サイドのゲートを閉じて、落ち着いてから、大川サイドの第二ゲートを上げる。それがまためちゃくちゃゆっくり。それぐらいしないと、大変なことになるからだろうなとは思うが、こちらは平均台の上に乗ったような状態。(足を前後にしないと立てない。)明日は筋肉痛だろうなと思いながら、何分待ったのかわからないが、ようやく上がり出した時はある意味感激。無事に三艘が大川へ進みだすのを待って私も出発。こうなれば、平野町のガスビルも、伏見町の芝川ビルもタクシーのお世話に。写真を撮る間待っていてもらったら、案の定、もう一か所行こうと思っていた御霊神社の事をすっかり忘れてしまった。ラジオを聴きながら「いったいどこ?」といつも思っていた朝日放送の近辺の「ほたるまち」に行き、堂島川クルーズなるものに乗って、時間になったので、急いでクラス会のある中之島プラザに向かった。
2016.11.27  生まれて初めての「大坂検定」受験。もちろん初級。
 
 会場は堺市の大阪府立大学なかもずキャンパス。そして、その日曜日一日中完璧な雨。土砂降りの手前の雨。しかし、ラッキーなことにゴルフをあきらめた主人が車で送ってくれた。その間、15分ほど、うとうとと寝られたことが救いだった。おかげですっきりと目が覚めて、テスト用紙に向かう事が出来た。わかったことは「社会」の部分、「芸能・娯楽」の若者ならよく知っている所、「生活、遠足」の所が苦手だなということ。府内総生産、人口にかんすること、SMAPの歌った大阪弁の歌とか「セトウツミ」という映画に出てくる公園の名前とか、「クロバラノワレキュール(←な・なに?)」に関すること、「上神谷(にわだに)のこおどり」に関することなどなど勉強不足を感じた。ショックだったのが、「五代友厚のお墓が大阪に有ったこと」、「大正製薬の本社が大阪にはなかったこと」、「中之島に架かる大江橋の位置」、「松岡修造が小林一三のひ孫にあたる事」などを全く知らなかったこと。特に最後者はドリルで見て、「へぇ〜っ」とびっくりしたのは覚えていたのに、その内容をすっかり忘れていたことに唖然とする。それにしても「生活、遠足」などが全滅ではなかったことはひたすら手助けしてくださった方々のおかげだと思っている。情報をくれた方々、実際に場所知らずの私をあちこちつれて行ってくれた方々に心からお礼を申し上げたいと思っています。お陰様で60点以上で合格のところ、80点取れました。解答の載った大阪日日新聞を買ってきてくださったメンバー様にもお礼申し上げます。もう一年だけ、更なる修行を続けたいと思います(余りにも大阪探訪が道半ば過ぎますので)。それにしても、こんな楽しいテストは知らない。時間を忘れてじっくり見ていたいとおもった。