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2010隙間脳トレ(別仕立て復活)

一番〜十番 十一番〜二十番 二十一番〜三十番 三十一番〜四十番 四十一番〜五十番 
五十一番〜六十番 六十一番〜七十番 七十一番〜八十番 八十一番〜九十番 九十一番〜百番

 
 第一番〜第十番
一、天智天皇秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ、二、持統(じとう)天皇春すぎて夏気にけらし白妙の 衣干すてふ天の香久山、三、柿本人麻呂あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む、四、山部赤人田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ、五、猿丸大夫奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき、六、中納言家持(やかもち)かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける、七、阿部仲麻呂天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも、八、喜撰法師(きせんほうし)わが庵は都の辰巳鹿ぞ住む世をうぢ山と人はいふなり、九、小野小町花の色は移りにけりないたづらに 我が身よふるながめせしまに、十、蝉丸(せみまる)これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
最初の二枚はブラシで描いた作品だが、どうしても綺麗にならないので、やはり、鉛筆とバケツで描くことにした。
 
第十一番〜第二十番 
十一、参議篁(さんぎたかむら)わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ天の釣り船、十二、僧正遍照(そうじょうへんじょう)天つ風邪雲の通い路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ、十三、陽成院(ようぜいいん)筑波峯の峰より落つるみなの川、恋ぞ積もりて淵となりぬる、十四、河原左大臣(かわらのさだいじん:源融)陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに乱れそめにしわれならなくに、十五、光孝(こうこう)天皇君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ、十六、中納言行平(ゆきひら)立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む、十七、在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれないに水くくるとは、十八、藤原敏行(としゆき)朝臣住の江の岸による波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ、十九、伊勢(いせ)難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや、二十、元良親王(もとよしししんのう)わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はくとぞ思ふ
十四番の河原の左大臣の絵は少々歌のものとは違う。
 
第二十一番〜第三十番
 二十一、素性(そせい)法師今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな、二十二、文屋康秀(ふんやのやすひで)吹くからに秋の草木のしおるれば ぬべ山風をあらしといふらむ、二十三、大江千里(おおえのちさと)月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど、二十四、菅家(かんけ:菅原道真)このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに、二十五、三条右大臣(さんじょううだいじん:藤原定方)名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな、二十六、貞信公(ていしんこう:藤原忠平)小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ、二十七、中納言兼輔(かねすけ)みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ、二十八、源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草のかれぬと思へば、二十九、凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花、三十、壬生忠岑(みぶのただみね)有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
少々困って狼男を登場させてしまった
 
第三十一番〜第四十番
 三十一、坂上是則(さかのうえのこれのり)朝朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に振れる白雪、三十二、春道列樹(はるみちのつらき)山川に風邪のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり、三十三、紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ、三十四、藤原興風(ふじわらのおきかぜ)誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに、三十五、紀貫之(きのつらゆき)人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける、三十六、(きよはらのふかやぶ)夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいずこに月宿るらむ、三十七、文屋朝康(ふんやのあさやす)白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける、三十八、右近(うこん)忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな、三十九、参議等(さんぎひとし:源等)浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき 、四十、平兼盛(たいらのかねもり)忍ぶれど色に出にけりわた恋は ものや思ふと人の問ふまで
四十番と四十一番とが競い合った歌。絵に関連性を持たせている。
 
第四十一番〜第五十番
 四十一、壬生忠見(みぶのただみ)恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか、四十二、清原元輔(きよはらのもとすけ)契りなきかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは、四十三、権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ:藤原敦忠)逢ひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり、四十四、中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし四十五、謙徳公(けんとくこう:藤原 伊尹:ふじわら の これただ)あはれともいふべき人は思ほえで身のいたずらになりぬべきかな、四十六、曽禰好忠(そね の よしただ)由良の門を渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋の道かな、四十七、恵慶法師(えぎょうほうし)八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり、四十八、源重之(みなもとのしげゆき)風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな、四十九、大中臣能宣朝臣(おおなかとみ の よしのぶ御垣守衛士のたく日の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ、五十、藤原義孝(ふじわら の よしたか)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
 
第五十一番〜第六十番 
五十一、藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを、五十二、藤原道信朝臣(ふじわらみちのぶあそん)明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めき朝ぼらけかな、五十三、右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る、五十四、儀同三司母(ぎどうさんしのはは:高階 貴子:たかしなの きし)忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな、五十五、大納言公任(だいなごんきんとう:藤原きんとう)滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こけれ、五十六、和泉式部(いずみしきぶ)あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな、五十七、紫式部(むらさきしきぶ)めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影、五十八、大弐三位(だいにのさんみ)有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする、五十九、赤染衛門(あかぞめえもん)やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな、六十、小式部内侍(こしきぶのないし)大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
この十句は女性が多かった
 
第六十一番〜第七十番 
六十一、伊勢大輔(いせのたいふ)いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂いぬるかな、六十二、清少納言(せいしょうなごん)夜をこめて鶏のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ、六十三、左京大夫道雅(さきょうたいふみちまさ)今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づけならでいふよしもがな、六十四、権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木、六十五、相模(さがみ)恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ、六十六、前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし、六十七、周防内侍(すおうのないし)春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそおしけれ、六十八、三条院(さんじょういん)心にもあらで憂き夜にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな、六十九、能因法師(のういんほうし)嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり、七十、良暹法師(りょうぜんほうし)寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ
もうこのころになると、描くのがいやでいやで、やたら関係ないキャラクターを登場させてしまった。
 
 第七十一番〜第八十番
七十一、大納言経信(だいなごんつねのぶ)夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く、七十二、祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけきい)音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ、七十三、前権中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ:大江匡房)高砂の尾の上の桜先にけり 外山のかすみ立たずもあらなむ、七十四、源俊頼朝臣(みなもと の としより)憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを、七十五、藤原基俊(ふじわら の もととし)契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり七十六、法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん:藤原忠道)わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波、七十七、崇徳院(すとくいん)瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ、七十八、源兼昌(みなもと の かねまさ)淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守、七十九、左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ:藤原顕輔)秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ、八十、待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)ながからむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ
なんとか描き続けるために此の十句はひたすら男前ばかりにした。好きな崇徳院もこの中にいるし。二か所に登場させてしまった。
 
 第八十一番〜第九十番
八十一、後徳大寺左大臣(ごとくだいじの さだいじん:徳大寺 実定:とくだいじ さねさだ)ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる、八十二、道因法師(どういんほうし:藤原敦頼思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり、八十三、皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり:藤原俊成:しゅんぜい/としなり:藤原定家の父)世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる、八十四、藤原清輔朝臣(ふじわらきよすけあそん)ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき、八十五、俊恵法師(しゅんえほうし)夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり、八十六、西行法師(さいぎょうほうし)嘆けとて月やはものを思わする かこちがほなるわが涙かな、八十七、寂蓮法師(じゃくれんほうし村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ち上る秋の夕暮、八十八、皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋わたるべき、八十九、式子内親王(しょくしないしんのう)玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば 忍ぶることの弱りもぞする、九十、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
ここでも、自分を登場させたりして、必死だった。
 
 第九十一番〜第百番
九十一、後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん:藤原義経きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む、九十二、二条院讃岐(にじょういんのさぬき)わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし、九十三、鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん:源実朝世の名kは常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも、九十四、参議雅経(さんぎまさつね:藤原雅経)み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり、九十五、前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん:九条基房おほけなく憂き世の民におほうかな わが立つ杣にすき染めの袖九十六、入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん:藤原公経(ふじわらのきんつね花さそふ嵐の庭に雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり九十七、権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ )来ぬ人を松帆の裏の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ、九十八、従二位家隆じゅうにいいえたかかぜそよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける、九十九、後鳥羽院(ごとばいん)人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は、百、順徳院(じゅんとくいん)百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
お疲れ様の定家さんもいるし、もう少しもう少しと励ましながら他のキャラクターも登場させながら描き切りました。
六年前の自分は偉かった!!