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2017隙間脳トレ(大阪探求珍道中)-2

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 2017.3.20  やっと大阪探訪に出掛けられました。
 去年から行きたかった富田林の寺内町
 
↑ 上の画像をクリックしてください。旧杉山家の説明が読めます。
寺内町とは真宗の寺院を中心に堀や土塁で防御した町を言います、富田林のそれは1558〜1561に誕生しました。京都興正寺の証秀上人が訪れ「荒芝地」を銀百貫文で購入。近隣4か村から8人の有力者を集めて興正寺別院を建立し8人の合議制のもとで御坊を中心とした街づくりが行われた。江戸時代には幕府の直轄地となり、石川の水運と東広野海道と千早街道が交差する陸運に恵まれて商業の町として発展。酒造業が盛んで1668年には51職種、149の店が軒を並べた。また文化的にも能や浄瑠璃が興行され、俳諧がブームになった。
(富田林寺内町のパンフレットより)
 ↓変わった名前から行って見たいと思っていたところ・・・近つ飛鳥博物館のサイトより 南河内郡河南町東山299
「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載があります。
履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。(この意見にはそのまったく反対を指す意見もあるらしい。他のサイトより。)
この「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道−竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっています。

また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれています。

なお、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」によると、当地周辺には百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族が居住していたという記載もあり、「近つ飛鳥」の地域は、国際色豊な地域であったことを今に伝えています。
 
 ↑楠正成について(デジタル版事典にて)
河内(かわち)(大阪府)赤坂の土豪。元弘(げんこう)元年(1331)後醍醐(ごだいご)天皇の呼びかけに応じて挙兵。配下の武士団をうごかして奇策を駆使,赤坂城・千早城の戦いなどで幕府軍をくるしめる。建武(けんむ)政権下で摂津守,河内守。建武3=延元元年足利尊氏と摂津湊川(兵庫県)でたたかい,5月25日敗れて自刃した。

↑「日本の棚田百選」に認定、そして 「下赤阪棚田」について(千早赤阪村ホームページより)
村の主要産業は農林業で、中山間地域の地形を利用した棚田が室町時代の古くから形成されてきました。 棚田とは山の斜面や谷間の傾斜地に、階段状に造られている水田のことで、小さいものまで数えれば千枚にも達することから「千枚田」ともいわれています。

一般的に棚田とは、農業生産の場であり、国土保全にも大きな役割を果たしていますが、その他にも優れた自然環境の維持、美しい農村風景の形成、農村文化や伝統の継承、様々な動植物が生息する場など様々な役割を果たしています。

大阪近郊の棚田はそれに加えて、都市住民の心を癒す「心のオアシス」としての役割も担っています。
  金剛山とはどんなものなんだろうと行ってみた。・・・しんどかった・・・ロープウエイを使ったのに。↓
 
 2017.3.26  この日の目標は一番が「池上曽根史跡公園」だったから、和泉市と泉大津。そして、その両サイドの高石市と忠岡町だった。
 
 史跡公園の次に行った大阪府立弥生文化博物館↑は面白かった。好きなジオラマがたくさんあったし、要所要所に設置されているビデオが興味深かった。つまり、現代人が弥生時代の人々が行なったであろう作業を、実際に石器や木器をつかってやって見せてくれるのだ。木の皮から繊維を撮り、それをより合わせて布に織る。織機の代わりに自分の身体にくくりつけて織っていく。大変な作業だったことだろうに、良くされたなと思う。あと、稲は穂の部分だけを石器でひねりきる?ように切る。あの石器に二つ空いている穴は紐を通して指に通すための物だったらしい。ここは去る時後ろ髪を引かれるようであった。子供達に弥生時代の事を知ってもらおうと努力しておられるようすが良くわかった。
 
 葛の葉の夫になった保名さん、おくさんの全快の祈願に聖神社に行っていたのではなかったのですか?と言いたい。
 2017.4.2 隣の区なのにじっくり巡ったことがなかった生野区。
 
 舎利尊勝寺の由来はご存知の方も多いかもしれません。ネットからの話しをの載せておきます。
『この地は生野長者の旧地と言われ、長者に言葉の不自由な子が生まれたが、四天王寺を創建するために来ていた聖徳太子がこのことを知り、その原因を太子が前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じたところ、長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。太子は3つの仏舎利のうち、1つを法隆寺に、1つを四天王寺に、残った1つを自筆の御影と共にの長者に付与された。大変喜んだ長者が屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる。』
猫間川の碑とか田島神社、フルタ製菓、つるのはし等予定していたけれど行けなかったところも多いです。つるのはしはエミリンさんのサイトを拝見しましたので、それで納得しておきます。
しかし、勝山通りが真ん中を貫いている古墳にはたまげました。こんなに近所に古墳が有ったんだと。それにしてもどなたさまなのでしょうね。秀忠の軍に踏み散らかされたという墓の下で眠っているお方は。
巽神社へ行ったときは村長さんの事を思い出し、サンマルクが店じまいになったと知った時にはまた村長さんんのことを思って少々胸が痛かったです。リハビリに頑張っておられるであろう村長さんのご無事の退院を祈っています。
 2017.4.10  喫茶部の許可更新の為あべのまで行って来た。一つでも街歩きを片付けておこうと東住吉区の法楽寺に行ってみた。
 
 法楽寺というお寺は英会話のメンバーのとちゃんが若い頃コーラスクラブに入っていて練習したり、発表したりした場がこのお寺だったと書かれていたので、ぜひとも「東住吉区の名所」として、知っておかなければ!と思っていたところ。喫茶部許可書の更新作業が思いのほか早く終わったので、タクシーを飛ばして行って見た。その運転手さんが、「この近くの池の周りの桜が満開ですよ」と教えてくれたので、あとでそちらの方にも足を延ばした。法楽寺は、大きいとか立派とかだけではなく、近隣の住民に愛されているお寺なんだなと感心した。三々五々と訪れて賽銭をあげてお参りする人の姿が、途切れることがなかった。どっと来るわけではなく、ポツリポツリではあるが。しかも、門前には「本日は観光バスで団体の方々の参拝が有ります。」ということで、その他の人のための駐車場などの注意事項がかかれた木製の看板が立っていた。こういうお寺は初めてかな?と思いながらお参りをした。その後人に聞きながら運転手さんから聞いた池を捜し歩いた時、「桃が池」と聞いて、「?以前たしかしーちゃんに連れて来てもらったところじゃないの?」とおもったが、なんだか様子が違うような気がした。まえはもっと釣糸を垂れている人がいたような気がしたが、そういう人は一人もいなかった。勘違いかもしれない。帰りの最寄りの駅を人に聞くと、「文の里」だと教えてくれた。「?南田辺とか言う駅じゃないの?」と思いながら、高速道路に沿って歩いていくとありました。「文の里」という名前はよく聞いていた駅名だったが地上を歩いたのは初めてだった。駅にも「みんなが使うものだから美しく」と書いてあったように、チリがあまり落ちていない町だなと感心した。我が街東部市場駅に降りたって、その界隈のなんと道の汚いこと。とにかくたばこの吸い殻が「捨てないと損!」とおもっているのか?と思うぐらい道のわきに一杯捨てられてある。枯れた草に紛れていっぱいだ。我が街を見ていると、「日本ってまだまだ先進国だなんていえないね」といつも思う。
 2017.04.16  車で行けるときに稼いでおこうと7市1区を巡ってきた。
 
 予想に反してどこも立派な神社だったので、驚いた。特に交野市のそれは嬉しい誤算だった。森のようなところを歩くってこういう感じなのかなと。
 
 寝屋川市はメンバーさんに出身者がいて、お話を聞いていたので、ぜひ行って見たいところでした。学校の名前が変わっていて戸惑いましたが。東海道新幹線鳥飼車両基地にはがっかりし、パナソニックの大きさにはびっくりし、守口市の関西医大医療センターなるものには時の移りゆくさまをありありと見せつけられ、千林商店街では迷子になりそうでした。
 2017.4.29 行きたい行きたいと思っていた 八尾市と東大阪市
 
 ななふくさんに頂いた久宝寺寺内町案内版を握りしめて行ってきました。↑顕証寺を中心に発達した寺内町。今まで行った寺内町に比べて、人通りや車の行き来が多く、現在も大いに息づいている町なんだなという気がしました。歩いているときには、ここが馬追町通り、米屋町通り、などと照らし合わせながら歩いていましたが、画像になってしまうと、どこが何やらわからなくなったので、間違えたら困るので、細かいことは書けていません。申し訳ありません。顕証寺の立派さには驚きました。
 
 英会話のクラスの課題でふくろうさんが東大阪市のことを取り上げられてから、興味を覚え、ぜひとも早く行って、中小工場のある街を見たいと思っていた。さらに石切りさんや花園競技場があるんだと思い至ってからは更なる思いに駆られていた。今回もまた自動車で連れて行ってくれたことに感謝感謝。
 2017.5.3 大阪市外大阪府内の市を4つほど周ろうとしていたが、予定変更、大阪市内の区を幾つか。
 
 鴫野駅を通る「片町線」についてかねて「?」と思っていたことが有ります。「学研都市線」とどう違うのかと。ネットにてチェックしてみました。
ーーーネットでヒットしたところを抜粋さてもらいました。−−−−
片町線が正式名称であるはずなのに、愛称である「学研都市線」が使われる最大の理由は「片町線の由来でもある片町駅が廃止になった事」らしいです。
片町駅は京橋駅の西側にあった駅です。ただJR東西線開業により片町線の片町-京橋間は廃止となりました。
実際にはJR東西線には片町駅があった付近に新たに駅が新設されたのですが、駅名は「片町」を継承せずに「大阪城北詰」という駅名になったのです。
ーーーーまた「学研都市」とはどういう意味かもチェックしてヒットしたところから
京都府精華町のJR祝園駅付近です。。。。
学研都市は学術研究都市を略したもので、近くには国立国会図書館、しごとの科学館・国際高等研究所・地球環境産業技術研究機構などがあります。
もう少し遠くには、奈良先端科学技術大学院大学があります。
茨城県のつくば市も学研都市と思います
ーーーー
次は「ワンド」についてです。同じくチェックして抜粋させてもらいました。
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ワンドとは、淀川本流とつながっているか、水が増えたときにつながる、河川敷の小さな池のことです。川の水や雨水がたまってできた「たまり」と区別してワンドと呼ばれています。
淀川本流とのつながりがありますが、ほとんど流れがないため、さまざまな希少な生き物や植物が見られます。
淀川全体で約45のワンドがありますが、環境が少しずつ異なるため、一つひとつが個性的な生き物の小宇宙となっています。
明治の初め頃、大阪湾から淀川を通って京都まで蒸気船が通ることができるように、淀川の水の深さを保ち、流れる速さをおさえることを目的として「水制(すいせい)」というものがつくられました。この水制に囲まれたところに土や砂がたまり、その上に水際をこのむ木や草が茂り、現在のワンドができあがりました。
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実際に見ると、思っていたより大きかったような・・
 
 それぞれの神社やお寺について。
「なにわ七幸めぐり」でヒットしたサイトよりーーー
・一の幸として 学業成就のご利益を  大阪天満宮をいただこう!
・二の幸として 諸芸上達のご利益を  大念佛寺でいただこう!
・三の幸として 厄除け開運のご利益を 住吉大社でいただこう!
・四の幸として 商売繁盛のご利益を  今宮戎神社でいただこう!
・五の幸として 無病息災のご利益を  梅田の太融寺でいただこう!
・六の幸として 心願成就のご利益を  四條畷神社でいただこう!
・七の幸として 家内安全のご利益を  四天王寺でいただこう!
 2017.6.11 これで吹田市探訪なんていうと吹田市民に叱られそう・・江坂の大同生命ビルと万博自然文化園の二か所
 
 上の画像をクリックして頂くと万博のマップを見てもらえます。
石坂泰三氏について、ウィキペディアからピックアップしたもの。ーーーーー
1964年東京オリンピック資金財団会長に就任。1963年(昭和38年)日本工業倶楽部理事長に就任。1964年(昭和39年)、日本は経済協力開発機構(OECD) に加入。それにともない、産業経済諮問委員会(BIAC)にも加入し、石坂はBIAC日本委員長となり、積極的に資本の自由化に取り組んだ。同じ年、小泉信三の後を受けて、1975年(昭和50年)まで宮内庁参与に就任。また、ボーイスカウト日本連盟総裁となる。1965年(昭和40年)昭和天皇の御前で講義を行う。11月に三木武夫通産大臣の要請で、人選が難航していた日本万国博覧会協会会長を引き受け、1970年(昭和45年)3月の日本万国博開催に漕ぎ着けた。
ーーーーーー
なんとすごい人ですね。きっと賛否両論あったことでしょうが、誰かがせねばならないことが出来る人ってすごいなって思う。つまり、口でなんやかんや言うのではなく実行できる人なのだから。今は当時の感じに似ている。2020年の東京オリンピックに続いて2025年の万国博を大阪に誘致しようと大阪府知事、市長などがヨーロッパに飛んでいるようだ。しかし、後者は前回のようなわけにはいくまいなと思っている。
ちょっと世の中が物騒すぎる。
 2017.8.28  今年の大坂検定のテーマ「大阪の鉄道と企業家」を勉強してにわか鉄道ファンに。
 
 「めざせ!撮り鉄と乗り鉄」という意気込みで、歯医者に出掛けたものだ。めったに外に出ないから、出る時には出来るだけ沢山電車に乗ろうと決めた。しかーし、世の中甘くないです。「撮り鉄」のみなさま、素晴らしいです。尊敬いたします。私には撮れない。今回の唯一の一枚のように、「わっ」と思わず切ったシャッターでたまたま撮れていたなんてのはさておいて、あんなに早く動くものは無理です。止まっているものを止まっている間に横から撮ろうと走っていくなんてことも絶対にできない。ですから私がなれるのは『目視(もくし)鉄』(目に焼き付けるようにしっかり見る、といいたい」と『読み鉄』(つまり、電車や鉄道についての本を読む。それと、いつもの景色の所なら、電車の中で本を読む)。後者のようなことを言うと、乗り鉄の皆さんにお叱りを受けそうだが、今日読んだ本にすこぶる面白さを感じています。買っては見たけれど一切読んでいなかった芥川賞作家(又吉直樹氏)の本「夜を乗り越える」。なぜ本を読むのかについて書いてあるのだが、面白い。ふふ、そうそう、なんて思いながら読み進んだ。新しいファンを見つけたかな?以上久しぶりの大阪探訪??
 2017.9.10  本格的大阪探訪開始。大阪国際空港と水間観音
 
2017年 12月3日の大阪検定試験の日までは、大阪探訪は電車で行こうと思っている。試験の山の一つが鉄道だからという訳から始まった「鉄道って、何?」であった。全く興味がなかった。でも、にわか鉄道ファンになるべく鉄道の本を読んで、路線図を眺めてみる。前回撮り鉄はあきらめたとはいうものの。一応カメラも構えてみた。今回載せている鉄道の写真は全て自分が撮った物。でも、いや、だからこそか、「はるか」の顔が載っていない。どてっぱらがやっこらさだった。天王寺についてすぐに来たのが「はるか」だった。車掌さんに乗れるかきくと、5号車からが自由席だから、車内で特急券を買うならいけるということで、飛び乗った。ノンストップで関空まで30分。通り過ぎる駅の駅名が読めないスピード。関空は、「はぁ、ここから飛行機に乗るのね・・」という感じ。「記念に昼ごはんでもたべましょうか」とうどん屋さんへ。あとせっかくだから飛行機の離着陸をみたいよねと、無料のシャトルバスで7分のスカイビューへ。飛行機が爆音を発して滑走路を走り出して、よっこらしょっと飛び上がる姿を見ていると、無事に着いてね、と感無量になる。そこでは一日ボーっとしていられるなと、思った。「これではいかん」と別の日に行く予定だった水間観音寺に行くことにした。南海の貝塚駅の隣のレーンから水間鉄道は出発する。終点始発を合わせて10個の駅に止まる。終点始発以外は無人駅なのかドアは運転手さんのいる前しか開かない。ワンマン電車、初体験だった。水間寺は聖武天皇の時代に行基が開山した。緑も多く、僧侶の方々も何人かおられて、それなりに立派なお寺だと思った。その後の公園行きは堪えましたが。何人も写生をしていて、「確かにどこをとっても絵になる風景」のような気がした。
 2017.9.23 前から行きたかった池田市に阪急に乗って行ってきました。
 
 まー、時間がなかったなかった。カップヌードルミュージアムではオリジナルカップヌードルが作れなかったし、小林一三記念館では文章が全部読めない。とても興味深い文章なので、ぜひとも全部読みたいのだが、何せ時間が・・・最後は「掃き出されるように」追い出された。池田市の人たちは「どこか見るべきところは有りますか?」と訊かれたら、二つも応えるところがある。どこかに「池田城」なんてのも書いてあったような気がするし。二つどころかもっとあるんだろうな。結構なことだなと思う。私もぜひとも大阪市内の興味深い所を案内できるようになりたいものだとしみじみ思いました。
 2017.11.5  来年の英会話クラスの活動の助けになればと、初体験してきました。
 
 大阪探訪と言えるかどうかわからないけれど、初めての体験。まーカラオケも沢山ある事。回転寿司もそこそこ。世の中は知らないことだらけ。両手で押すショッピングカートが介護用品になっていてビックリ。なんで??デパートによって、重要度というか、扱いが違うのが面白かった。回転寿司の店では「写真撮ったら叱られます?」と訊くと、愛想のいい案内のお兄さんが「大丈夫ですよ」とにこやかに。嬉しかった☆
 2017.12.3  第9回 なにわなんでも大阪検定受験
 
 遂に私なりの一つのゴール。大坂検定を二回受ける事。今回が二年目で二回目、それを受験してきました。新聞に載っていた解答をメンバーさんのお一人がプレゼントしてくださいました。75問中正解は44問!なんという不甲斐なさ。(不甲斐ないっていう言葉で合ってるの?なんだか二重否定のような感じがするのですが。間違っていたらお許しを。)情報を与えてくださったメンバーさんや家族のみんな、ああ、銀行さんや店のお客さんも情報をくれた方々が居ましたっけ、ごめんなさいっ<(_ _)>。ご厚意を生かし切ることが出来ませんでした。
悔しいとか、残念とか思うということは「もっとやっておけばよかった」という後悔の念がある時だろうと思う。ところが、その思いは全くない。なぜならば、問題を見ると、私がいくらやっても到達しないであろうと思うものの多いこと多いこと。分野が多義にわたりすぎている。とてもじゃないが手におえない。私にとっては十分過ぎる試練でした。ありがとう!大坂検定、そして、ご協力くださったみなさん☆感謝してもし足りません。私はもう受験はしませんが、大阪探訪は続けたいと思っています。その大阪探訪というのも、検定試験の中の「えんそく」という一分野の事に過ぎないのですが。それで結構!その分野のエキスパートは無理でも、多少知っている部類に入りたい。何がどこにあるか。つまり、今までのように、「そりゃ一体何市にあるんですか?」などと訊かなくていいように。例えば「野崎観音は大東市にある慈眼寺(じげんじ)というお寺の事ですよ」などと他人に訊ねなくも知っているように。もしくは教えてあげられるように。その辺行き方が直ぐに出てこないのが辛いですが。おそらく一生かかっても時間が足りないでしょう。「趣味は?」と訊かれたら「読書と大阪探訪です」と答えられるようになろうと思います。

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