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2012年の平々坦々

 2012.12.20  ときめき片付け術:近藤まりえ氏箸:ラジオネタ
 結局は同じことなのだが、「整理する」とは「捨てる事ではなく、どれを残すかを考える事」だという理論。なるほどなと思った。捨てられない人はなぜ捨てられないのかをじっくり考えればいいのだ。
整理するにも順番があるという。そして、やり方が決まっている。
1.洋服
2.本
3.書類
4.小物
5.想い出系(写真などはここに入る)

やり方はどの項目も「全部出して床に盛り上げる」というもの。今日はこの引き出し、明日はこの棚。なんてやっていたのでは失敗する。

1.の洋服などは自分の思っている3倍はあるという、「量を見てショックを感じてください。次に一つ一つ手に取って『ときめくかどうか』考えてください」と近藤さんは言う。つまり、『自分を幸せにしてくれる洋服はどれだろう』と感じることだと。
ああ、わかるなぁと思った。さらには、これを残そうと思った洋服も、手に取るだけではなく、着てみる必要があると思う。今日昔のスーツを着てみた。サイズ的にはすべて着ることができるが、まー似合わない似合わない。色が派手ということではない。茶色の濃淡の服。とても、着て幸せな気分にはなれない。それで、さっそくその服は下に持って降りて、解体することにした。まあ、整理するときは、いちいち着てみる暇はないかもしれないから、とりあえずは着てみたいものを選べばいいのだろうな。

2.の本については経験済みである。店の改装の時、壁面いっぱいの本や当時はビデオだったが、それらを段ボールにいくつもいくつもブックオフに送ったものだ。そういうところがあるとありがたい。ゴミとして出さなくていいから。しかも僅かとはいえ、お金も振り込んでくれるから、実に夢のようだ。

書類や小物も同様に行う。で、最後の想い出系の「写真」の項目のところで、パーソナリティはいったものだ。「写真は捨てられないですよ」と。
近藤さんは言う。「いきなり、写真から始めるとだめですが、段階を踏んで、残すものとそうではないものを分類してきた人ならば、手がとまることがないほど、写真を分別できるのです。まるで、手裏剣の様に」と。

なるほどな、とこれまた納得。目や手が、分別することに慣れていくんだなと思う。

そして、「私がご指導して残したいもの以外を処分した人々はすべて、『何も困らない』とおっしゃっています」と。
つまり、「ああ、あれを捨てるんじゃなかった」と後悔する人はいないということ。そりゃそうだろう、手に取って、ときめくものはすべて残しているのだから。

『整理することは、やみくもに捨てることではなく、どれを残すかを考える事』  ああ、いい言葉だな。
いつの日か必ず身辺整理の一環として、ぜひとも実行したいと思う次第である。
 2012.12.20  ノロウイルスについて:ラジオネタ
 何度かラジオから聞こえてくるノロウイルスについての注意事項の中でいつも不思議に思うこと。
手洗いの励行はいいと思うが、指先だけではなく、手首、出来るなら、肘まで洗うべしという。おそらく調理人の事を言っているのだろう。
中には、箸やフォークが添えられているのに、わざわざ素手で持ってものを食べる人がいるから、そういう人は、食べるだけの立場の人間であっても、もちろん手洗いをした方が口に入るバクテリアやウイルスなどの数が減るだろう。
だけど、医師会からの通達と銘打ってラジオなどで言われる手洗いはおそらく調理人、一般家庭なら、大半が主婦向けに言っていることだろうが、この冬場に長袖をめくりあげて、肘まで洗う人がいるだろうか。石鹸でも水でも湯でもウイルスは死なないらしい。だとすると、長時間流水で流す、つまり、物理的に押し流すという意味なのだろうか。この冬場に長時間肘までを流水にさらす人がいったい何人いるのだろう。さらに、洗った後、袖をおろしたのではなんにもならない。何のために肘まで洗ったのかわからなくなる。二の腕まで袖をまくりあげた状態で、調理をし続けないといけない・・なんて、「風邪を引きなさい」といわれているようなものだ。私の様に究極の寒がり人間は一発で調理人を返上せねばならない。
ラジオを聴いていて不思議だなと思うのが、アシスタントの面々が不気味に黙り込んでおられることだ。若くて言いたいことはかなりはっきり言う高学歴の人も、もしくは海千山千のそれなりの年齢の女性も、「無理がありますね」の一言も発しない。それが医師会からの通達だからか?そういう文章を作成した方々は手術前の手洗いと間違えているのではないだろうか。
なんだか聞くたびに、これでは救いにならんなと思う。さらに同じ文章に書いてあるのかどうか、湯で手を洗うのはNG(だめ)だという。手の皮脂膜が湯ではぎ取られてしまい、手荒れの原因になるからと。そして、荒れた手にはばい菌が繁殖しやすいと。
湯で洗うと、手が荒れるというのは、おそらくほとんどの主婦は知っている。経験済みだからだ。そして、もう一つ、経験済みなことは、荒れた手は十分に、丁寧に洗うことができないということだ。冷たい水も、ぬくい湯もピリピリとしみるのだ。痛くて、痛くて洗えない。
だから、大半の主婦は後片付けなどには炊事用手袋(炊手と約す)を着用しているようだ。ならば調理中は炊手は使わないのか?と思うが、「手袋して、よう料理せんわ(料理できない)」とのたまう方々がほとんど。
なるほどな、冬にノロウイルスが悪さするのは、無理ないなと思う。昔はノロウイルスの起こす症状は「胃腸風邪」とか「夏風邪」といったものだ。夏の気温で傷んだものを食べた結果の症状だったのだろう。冬にこれだけ増えてきたのはここ何年かの出来事の様に思えてならない。
ところでうちは少数とはいえお客様に食事を提供している。もちろん保険所の許可を得ていることは言うまでもない。ではどのように調理しているのかというと、調理中も後片付けのときもずっと炊手を着用している。「手袋しては調理できない」という人は、やってみたことがないのではないだろうか。もしくは「なんとしても、炊手で調理せねばならない。食べる人を病気にさせてはいけない」という覚悟や使命感が足りないのだ。
だが、炊手を調理中に、はめたり外したりせねばならない。薬店も併設しているので、というか、そちらが本業なのだが、配達の人が来たり、電話がかかったりする。その度に炊手を着脱せねばならない。そのためには薄い炊手では話にならない。密着しすぎて脱げない。中厚以上の物でないと。だとすると、使い捨てにはできない。金額的にも、ごみが増えるという意味でも気軽に捨ててはいけないと思っている。破れるまで何度も使う。そうすると、その炊手にもバクテリアは繁殖する。だから、調理前にはそれをはめて、心行くまで水であろうが、湯であろうが洗う。炊手の中の手が荒れていても、ピリピリ沁みたりはしない。もう一つ、炊手は片手が破れたら片手のみ新しいものに替える事が出来る。包丁を持つ手の反対の手の炊手が包丁の刃に当たって破れてしまうのだ。最近では左右どちらでも使えるものも有る。工夫はいくらでもできる。

最後にこれは間違いのないことだが、ウイルスに対抗できるものは自分自身が作る抗体以外にはないということ。
同じものを食べても、つまり、同じ人間が調理したものを食べても、全員がウイルスにやられるわけではない。自前の抗体の強さが違うのだろう。
最近の傾向は日々の食生活や睡眠の状態が乱れているのではないかと危機感を覚える。好き嫌いが多く、夜更かしが当たり前のような生活をしていたのではウイルスにやられるのは目に見えている。
人間がいるということはそれだけでバクテリアやウイルスが存在するのだから。だけど太古の昔から、人間の身体はそれらに対抗するすべを学んできている。そして、そのDNAが人類に連綿として伝えられてきているはずなのだ。
それが崩れて来ている原因は実は個々人の生活の乱れだけで片付けられないのが残念なところ。知らず知らずに食べさされている薬品などや、衣服に残る洗剤など、トラブルに遭う要因はいっぱいある。

「ならば、生活改善しても意味ないじゃん」などと言っている場合ではない。
だからこそ、「自分で管理できるところだけでも安全に注意していかねばならない」と考えなければならないのではないだろうか。

一般庶民向けのラジオ放送なら、ぜひとも一般庶民が利用できる情報を流してほしいものだと思う。
 2012.12.16 今井絵美子箸の作品について。

画:宇野信哉
コナン・ドイルやアガサ・クリスティなど洋物にのめり込んでいた私が赤川次郎氏を知って、その作品一辺倒だったのだが、やがて、佐伯泰英箸の作品を読み漁る様になった。もちろんその合間にハリー・ポッターを楽しんだことは言うまでもない。ところが、漢字の多い時代劇であるはずなのに佐伯氏の作品はページをめくる手が止められない。だから、やがて、既刊の作品はほぼすべて読破してしまうことになった。新刊を待つ間、所在なくアマゾンの勧めるままに画像を見ていたとき、女性作家に興味をひかれて、高田郁氏、和田はつ子氏、そして、今井絵美子氏の三人をピックアップして読むこととなった。最初にグーッと惹かれたのは高田郁氏。しかし、いかんせんこだわりがきつすぎて、遅筆も遅筆。こりゃいけません。和田はつ子氏はうれしい量産型。量的にその中間を行くのが、今井絵美子氏。今その今井氏の作品から目が離せない。しっとりと、女性らしい文章なのも、嬉しいところだが、短編のそれぞれの終わり方が、見事というか、「ここでやめるのか!」というか・・・。確かに、後を読者に託すというやり方はある意味読者にとっても救いになるかも知れないが、逆に言えば、読者である自分が思うような結末まで書いてほしかったとも思う。だけどそれは贅沢な望みというものなのだろう。 元気に書き続けて欲しいと思う。
 2012.12.16 Windows8について
 ウィンドウズ8についてはまったく興味がなかった。スマホ対応だということで、スマートフォン自体、興味もなく、もちろん持つ気もない。私にとってケータイと言うのは、電話とメールが出来ればいいと思っている。電話嫌いの私にとってはメールさえできればいいとすら。
ところが、青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。二階で使っていた私のセブンを主人が職場へ持っていくという。それを私は拒否できない立場にある。
というのは、主人が自分の職場用に買ったセブンを、しばらくは職場では使わないからと、二階に放置していたのを、「どうせ使わないのなら、使わせてもらうで」と使っていたのは私。つまり、「私のセブン」ではないのだ。
こちらがビックリして絶句する前に、主人は言ったものだ。「エイトこうてみぃへん?(Windouws8を買ってみないか?)」と。
まったく興味がないとはいえ、漠然と、「これから新しいノートを買う人って、エイトなんだよな・・」と思っていた。ただ、XpがVistaに変わった時の体中がひっくり返るような驚愕を経験した私としては「何を恐れることがあろう!」とこれも漠然と思っていた。だからその話に飛びつくことがなかったが、二階で使うパソコンが無くなるのは困ると切実に思った。
買ってよかった、としみじみ思う。いきなり持ってこられたら、おおいに困ったことだろう。私が困ると、それ以上にメンバーさんが困るだろう。
私の役目は「メンバーさん方を困らせないこと」だと、認識しているから、メンバーさんの前で私があまりにも長時間困りまくる訳にはいかない。
救いはスタート画面以外にデスクトップ画面が用意されていること。そちらを使うと、セブンとほぼ同様に使える。
もう一つ注意すべきは、最初のセットアップの時に先の事を考えてアカウント等設定せねばあとあと後悔する。(経験者語る。)
大体の仕組みがわかるのになんとほぼ一週間かかった。毎日やっている「案図策駿」を放棄して、トリセツに取り組むしかなかった。
スタートボタンがなく、全画面が標準という景色には面食らうが、それも慣れだろう。最初からエイトなら、びっくりすることもあるまい。
 2012.10.12 ありがたかったです。
 
 差込文書を作ろうと悪戦苦闘しているときに誰が、「差し込み印刷の開始」というボタンを押す気になるのでしょう。よくよく見て、小さい三角形があることに気づけばよかったのでしょう。だけどね・・・せめて、「差し込み印刷の種類」とかなんとかにしてくれたいたらな・・・
来てくれたSE(システムエンジニア)さんが、昔の知り合いの息子さんでよかった。それより前に、さんざっぱら在庫管理のシステムについてあれこれやってくれた後だから、気難しいSEさんなら、「ワードやエクセルなんぞ知るか!」という顔をされるところだった・・・
お蔭でもやもやが晴れた気分。ようやくピアノ珍道中発表会に渡せる資料を作る気になってきた。
 2012.10.11 二題
  生まれて初めて体験した。
糸にされる前の羊毛をギザギザと溝の付いた針(フェルティングニードル)で、チクチクと刺すことによって形作っていく、フェルトのマスコット。 いて座の天使。組み立てた箱にちょこんと収まる可愛らしい大きさにしなければいけなかったものだ。
ところが、確かに、チクチクと突くと、ふわふわだったものが、固まってくるのはわかるのだが、思惑通りの形になってくれないし、時々針で左指は突くし・・・
なんと厄介なものを始めてしまったのか、っていうか、なんと厄介なものを買ってしまったのか・・事の起こりはTVの料理番組の引き続いて放映される「趣味の番組(タイトル忘れた)」。そこで、このフェルトのマスコットを作るという時間があった。そういうものが存在することすら知らなかった私は、「へぇ」と興味深く見たものだ。それが、生協の頒布会に載っていた。思わず注文した私の気持ちもわからぬではない。問題はチクチクと十分つついて、ある程度かたい塊にしてしまった物同士がチクチクではくっつかないということだった。仕方がない、取った手段は『糊付け』。もうそういう方法が使えるとなると、チクチクより糊でのペタペタの方が多くなるのは火を見るより明らかであった。(私の事だし。)あやうく、作り始めて間もなく、「捨ててしまおうか」と思ったことを思えば、最後まで仕上げたことでよし!としよう。悪戦苦闘した後は疲れる・・・
 涼しくなってきたからかというか、日照時間が変わってきたからか、まだ午前中だというのに、ヒツジ草が咲いていた。
カメラカメラと取に入り、パシャッ。
ついでにちらほらと思い出したように咲くカーネーションにもカメラを向けた。よくがんばるね。
 2012.9.25 箱包み
  前々から溜めていた段ボール箱、そのまま使うにはあまりにも味気ない。端切れをつぎはぎして包もうと思っていた。そうすると、「ボケ防止手帳のカバーに使いたい人にどうぞ」と、のとちゃんが端切れをたくさんもって来て下さった。あまりにもたくさんだったので、「使われない端切れは箱包みに使ってもいいですか?」と訊くと、「はいはい、もうね、要らんかったら処分してください」との事。それで、一挙に仕事が進むことになった☆ショッキングピンクの布はどう考えても余りそうだと思って、使わせてもらうことにした。まー沢山出来たこと。こちらの必要なものを除いた分ならご希望の方にプレゼント♪(って、いらん??ははは・・・あか抜けてないしね。) 
やれやれ、次の仕事に取り掛かろう。
 2012.9.17 話題三題
   
 これはハングル語の口座に出てくるスキット。韓流スターが登場する。ハングル語と中国語とたまっていた2回分ずつ見たが、さすがに最後の一回分は半分ぐらい夢うつつ。これでは身につくわけないよね。  本日の植木鉢置場。一時は葉っぱが日焼けして、茶色くなり、どんどん落ちて、いったん枝状態になっていた。しかし、また芽が出て今では青々とした葉っぱが茂ってきている。大したものだと思う。今日も台風の影響か温い強風が吹いている。34度台。一向に涼しくなる気配はない。だからこそ、植物たちの身の処し方に感心するばかりだ。

装画:
卯月みゆ き
 メールで教えてもらったのだが、今月(9月)22日から「みおつくし料理帳」がTV番組になるという。土曜日に放映ならば観られるなと思う。どこまでするのだろう。野江はだれがするのだろうか。
←これは最新刊の『料理本』である。超こだわり屋の高田郁氏が作った物。単に監修しただけではないというからすごい。何がすごいって、想像だが、高田氏のこだわりが強すぎて、付き合ったスタッフの皆さんが、大変だっただろうなと思って、「すごい」と思ってしまった。災害に遭う前の野江と澪の一コマが載っていて、得した気分だった。
 2012.9.16 15年続いた『踊る大捜査線ファイナル』を見てきました。画像はパンフレットより。
 
 主人公の織田裕二さん30歳の時が初出演だったそうな。ということはことし45歳。まだまだ男性の役者さんとしては脂の乗り切った時でしょう。これからの活躍を期待したい。今まで通り、期待を裏切らない仕上がりだった。過剰な期待を抱かなければ絶対に裏切られることは無い。ただ、どの映画にもある「最後の心残り」というか、「少々の欲求不満」と言うのはあった。「すみれさんはどうなったの?」ということ。
まあ、自由に想像してくれと言うことなのでしょう。いままで出てきた役者さんたちがあちこちで出てくるのだが、私にはあまりわからなかったのが残念。最後のシーンは「踊る・・・」らしい「ありえへん」仕掛けで、見ている人たちは度肝を抜かれた。
このシリーズに流れる「現場の人間に任せよ」というテーマは踏襲されていた。
誇張があるのかどうかわからないが、警察というところはそれが実現しにくい組織なんだろうなということは想像に難くない。
この映画の前に食事を済ませようと入ったところが、これほど感じの悪いところがあるのだろうか(ウエイターの高圧的な態度と注文を通すのを忘れられたという悲劇)というところで、(映画に間に合わなくなるので)食べずに出てきたのだが、その不愉快さを吹き飛ばしてくれた作品であったことだけは付け加えておきたい。
 2012.9.3 高倉健主演の映画「あなたへ」を観てきました。 画像はパンフレットより。
 
 観終わった時に出た言葉は異口同音に「ええ映画やったねぇ」。
この映画の言いたいことは「あなたは大切な人のどれだけを知っていますか?と我々に問いかける事」だと思っていた。
そしてそれをどのように表現しているのかを見たかったのだ。
だけど、違った。もっともっと本質的なこと、それを高倉健演じる刑務官の妻は絵手紙に載せて、命を懸けて夫に伝えたのだ。
なるほどなといろいろなことが分かった。それを理解していない夫婦は夫の定年後危機を迎えるのだろう。
それともう一つ面白いなと思ったのはまるでアガサクリスティーの話の様に、ずーっと長く引っ張ってきて、最後の数ページで一挙に解決を見せるというような作り方の雰囲気を感じた。
やたら最後がスピーディ。しかし、なるほど、あれがそうだったのかとニヤッとしたくなるところもある。
しかも、 ちょっとした謎も残して。きっとそれが高倉健より3歳若い77歳の降旗(ふるはた)監督の作り方のようだ。
彼は「わかる人にだけわかってもらえたらいい。」という考えらしい。一から十まで説明するのではなく、「言わなくても察しろ」といういわゆる古典的日本人的発想。
東大卒の監督だからか??私のような凡人にはもうほんのちょっぴりでいいから、説明が欲しかったな。
佐藤浩市さん演じる南原(なんばる)さんは何処へ行ったの?あの場所にいったらまずいんじゃないの?
なぜ風鈴の場面を二度出したの?
じっくり考えたらわかるのかもしれない。今はその時間がないが。
一見坦々とした映画のようで、絶対に眠くならない、最後にはきっと「ええ、映画だったね」と口には出さずとも思うに違いない、そんな映画だった。
 2012.8.19 本当に久しぶりの木目込み人形
   喜多川歌麿の浮世絵にある水茶屋の美人画の中でも最も有名であると言われている『難波屋おきた』
ミニチュアが好きな私は、ついつい人形がもっている小道具につられて注文してしまったのだが・・・
最後の最後でその小道具に悩まされるとは思ってもいなかった。
右手に持たせる茶卓と湯のみ、まっすぐに持たせる事が出来ない。
かなり右手を斜めに下向くように取り付けたのだが、指の曲がり具合で、茶卓が45度以上傾いてしまう。仕方がないから、茶卓を裏向けに持たせてみた。そうすると、楽に茶碗が乗る。これはプレゼント用に作った物なので、致し方ない、その写真入りの手紙を同封して送ろうか。。。
それにしても3年は木目込みをしていなかったのではないかと思う。
うーむ。。こんなにし難かったか?と思いつつ悪戦苦闘。
(だが、私にとって、木目込みは「嫌いな作業ではないな」と再確認した。苦労はするが楽しみながらできる作業だ。)

これで気にかかっていたことが払しょくされることと思いたい。
ついこの間までJPCのメンバー様であったお方が、どうぞ幸せな人生を送ってくれます様にと祈りながら。
 2012.8.13 カバーつくりに悪戦苦闘
背表紙の部分にボールペンを差そうと4つまで作ってきたが、どうも邪魔になる。こちらの方がいいのではないかと、でこちゃんのアドバイスも受けて、逆サイドにつけてみることにした。邪魔になるようなら、少し手帳に挟み込むようにして、所定の場所への出し入れをすると、かなり、ましである。ただ、ボールペンによってはそのポケットをもっとしっかりさせないといけない場合もある。あと二種類ほど作ってみて、どれかで妥協をしたいと思っている。 なかなか「他人にあげて喜ばれるかな?」と思えるようなものはできないもんだとしみじみ思う。だけどもらってくれる人がいると思うと、より良いものを作る励みになる。自分のためだけなら、そう何度も試作しないことだろう。
 2012.628  想うこと、いくつか。
前から不思議想っていること。たとえば女性に年齢を聞くことができない国がある。たとえば、韓国とか中国とか・・それでいて、儒教の関係かどうか知らないが、自分より年上の人を、たとえうわべだけにせよ、敬う姿勢をとる。どうやってその女性が自分より年上だと知る事が出来るのだろう。。。 間違えたらどうするのだろう。
 これも謎なのだが、「ただ、パソコンをやりたいと入会したのに、苦手なことばかりさせられる」と言う人がいる。まあそういう人たちも、やがては苦手だと思っていたことを上手にこなすようになられるのだが。そのことよりも、「パソコンをする」とはどういう意味なのだろう。「パソコンで○○をしたい」ならわかるが、パソコンというのは手段であって、目的ではないはず。
 最近ダイエットのためと身に着けていると消費カロリーがわかる小さな機械がある。おそらく動きを察知して、どのぐらい動いたら、どのぐらいカロリーを消費するだろうと機械が計算するのだろう。しかし、じっと座って脳みそを動かした時の消費カロリーの事はどう計算するというのだろう。その消費カロリーが一番多いというのに。
 女性の美しさを表現する言葉の一つに「足首がきゅっと引き締まった・・」がある。その引き締まった足首というのは骨盤の在り方に影響されるらしく、引き締まっている方が健康に過ごせるらしい。そこで、毎日くるぶしを上方へ引き上げるようにするといいというのだ。足首ってくるぶしより上を言うのではないのだろうか。ちがうのかな?くるぶしが上部に移行してくると、足首がくるぶし分太くなるんじゃないの?
 原発が再開されるという。あれはもう25年ぐらい前になるだろうか、原発の燃料の燃えカス?を処分してもらうためにフランスに運搬することに従事している人がお客さんでいらっしゃったことがある。びっくり仰天したのを覚えている。フランスができることがなぜ日本ではできないの?さらには、後始末もできないような核燃料をつかっているのか、原子力発電というのは!とも呆れた。思えばあの当時から、原発反対の声を上げるべきだったんだ。その後日本での核燃料の処理についての講義を聞いたことがある。たしか「頑丈な容器に詰めて深海に埋める」じゃなかったかなぁ・・(なんということだ、とブルーな気持ちになったから。)。ちなみに今、検索してみた。地下数百メートルに埋める事しかないようだ。ところが、「埋めてもいいよ」などというところがあるわけがない。経年変化でたとえば腐食して放射能が地下水に混じったりすることを考えるとぞっとする。なんなんだろう、今から思うと、フランスには地下数百メートルに埋められるという場所が広々とあったということなのだろうか。今ではフランス国民が他の国のそんな物騒なものを受け入れることに反対しているという。当然だ。いくら高額の処理料が手に入ったとしてもお断りだろう。原発の事を「トイレのないマンション」と表現しているサイトもある。大変な危ないものを見切り発進してしまったものだ。どうする人類!開けてしまったパンドラの箱を閉めることにこそお金を使うべきではないのだろうか。
 2012.6.24 私にしたらめったにないこと。一日で二か所に出かけた。
大阪市の西区にある「大阪府立江之子島文化芸術創造センター」という、ようもそんなに長ったらしい名前を付けたな!とあきれ果てる名前の建物で開かれた日本画展に行った。タクシーの運ちゃんもずいぶん迷うというところ。ハガキに載っている地図を見せているのにだ。最寄りの駅は地下鉄中央線の阿波座、木津川の近く。 今回は気のせいか去年より多くの出品数が出品されてあったような気がする。ああ、去年だったかな、その展覧会で敬子様に出会ったのは。諸行無常。JPCのメンバー瑞木さんが出品している。その作品は来年一月にJPCの展示会にも出品してくれるから、ここでは詳しくは載せない。ひとつわかったことがある。私自身が惹かれる絵は静物画だということ。絵を見るとき、「どんな絵だったら、部屋に飾るために買うだろう」と思いながら見る。そうすると、静物画を見ていると心が落ち着くことがわかった。特にキッチンに関わる道具や食器などが描かれていると、しばらく足を止めて、見入ってしまう。ところで魅力的に料理を描いてくれるひとはいないものか。
料理ってあまりにもそのとおり描くとなんだか食欲を失いそうになってしまったりする場合もある。食べると美味しいのだが、みてくれが悪いという料理も少ならずある。その辺「おいしそうに描く」ことに主眼を置いた絵☆そういうのに出会わないかな。なら自分で描いてみたらよさそうなものだが、そういう時間があれば、料理をして食べる方がいいと考える私なのである。
画像はパンフレットから。
さて、夕方は映画版「ホタルノヒカリ」を鑑賞に。これはめったにないことだが、夫のリクエストである。なぜかTVドラマ版の「ホタルノヒカリ」を見ていたようで、気に入っていたのだろう。私はそのころは寝る時間だったのでウトウトしながら音だけ聞いていたという感じ。ところがである、その夫が「途中寝てしまった」らしい。この映画版は途中寝るとちょっとわからなくなると思う。なぜ蛍がウエディングドレスを着て、泥んこになっているのだろう、などと。まあ、原作が漫画の作品だから、ありえへんことも出てくるが、シリアスな話題も組み込んである。そもそも人は何のために生きるのか。最愛の夫と娘を失って生きる意味さえ見いだせず、仕方なく生きてるリオ。そんなリオに向かって、蛍が「私は一日の仕事が終わって家の縁側で部長とビールを飲むとき、『ああ、生きてて良かった』と思う。どんな人生でも一筋の光があれば(つまり生きてて良かったと思える瞬間と言う意味だろう)生きる意味があるのです」 と話す場面がある。ああ、そうだなと思う。それのほうがいいなと。あちこちで書いたり話したりしていることだが、昔看護学校へ行っていたとき、衝撃を受けたことがある。解剖学のイケメンの先生が、言ったのである「子孫を残せなくなったら死んでしまう動物が多い。子供を産める年齢を過ぎても人間は長生きしますが」と。その時、その教室にいた「子供を産める年齢を大幅に過ぎた人間」は私しかいなかった。その後、ずいぶん考えたものだ、生きる意味とはなんだろうと。紙面がないので、手っ取り早く私の行き着いた結論を言おう。「死ねないから生きている」のだ。私は自殺をする気はない。まわりをよく見ると、サルも、ゾウも年をとっても生きているではないか。それ以来、私はイケメンの若者が苦手になった。それにしても綾瀬はるかは引っ張りだこだな。来年は大河ドラマの主役を張るし。身体を壊さねばいいが。女が主役じゃないとだめだなと考えているであろうNHKの気持ちもわかるが。右下の料理は映画の後食べた盛り合わせ料理である。
 2012.5.10 あたらしいミシンがやって来ました。
よく頑張ってくれたジャガーのミシン。もう5年は超えていたのではないだろうか。布送りができなくなって大分経つ。ちょうど生協の注文書にミシンが載っていた。
最近のミシンは手ごろな値段だし、軽いし、小さいし、ほんとありがたい。今度こそ糸通しを壊さずに使えるようにしたい。
ところがである。使い方のDVDを見ているとき、「お手入れ」の一つとして、ボビンのところのねじを外して中を時々掃除すること。と言うのがあった。そういえばジャガーの掃除はしたことないなとYUさんにしてもらうと、まーわたぼこりのようなのがいっぱい!「わぁ、かわいそうなこととしていたんだねぇ」 と、ほこりを払った。もしかしたら布送りも復活したかもしれないなと思いながら、棚にしまったが。ならば、新しいミシンもほこりよけのカバーが欲しいな、とさっそく第一作目を作った。ミシンカバーである。さすが「まっさら」!ズボンの継ぎ目の分厚いところも勇敢に進んでいく。「大丈夫か?」とハラハラしたが、難なく完成。ねずみ色のカバーは殺風景なので、裾にレースを付けた。
以前のミシンと使い方が少し違いますので、使われる方、どうぞ事前にお尋ねください。。
 2012.5.9 ネット検索でやっとわかりました。
 とっくにご存知の方には、「なーんや」と思われることでしょう。でも、私にはわからなかった。それも何年も。
「気の置けない」という言葉である。
意味は知っている。「気兼ねをしなくていい、仲の良い、気心の知れた」と言ったような意味である。
だから、その「気」は「気を使う」などの時の意味の「気」なのであろう。「しんどい気分」。
それが要らないという意味。それは理解できるが、どうしても理解できなかったのが、「置けない」という言葉。
こりゃいったいなんですか?「可能」なのか?などと自問自答。可能だとすると「置けない」は「置くことができない」という意味になる。
「しんどい、気詰まりな感情を『置くことができない』」???まったくなんのこっちゃわからん。
だめもとで、ネット検索してみた。   あったんですよ。説明してくれているところが。残念ながらURLを控えるのを忘れた。
可能に似た表現に(まったく同じ表現と言ってもいい)「自発」がある。
動詞の表現様式で、行為・動作を人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう表現である。(←これはウイキより)普通は助動詞の「れる」「られる」がつく。「思い出される」(思い出そうと思わなくても、自然に思い出してしまう)などである。
それを考えるとと「気の(もしくは「気が」)置けない」という表現には「れる」も「られる」もつかない。
あえて言うなら「置けない」→「置かれない」と言えるかもしれない。
つまり「気詰まりな気分を持たないでおこうと」努力しなくても、そんな気分は持つことは無い、という意味なのだという。
こじつけ的雰囲気も無きにしも非ずだが、私にとっては十分だ。「そうか!『自発』だったのか!と、目から鱗というか、のどに仕えていた小骨がとれたというか、そういう感じを味わった。
 2012.5.6
作りかけて段ボールの準備だけしていた箱をすべて布で包んだ。DVDを見ながら作業をしたから、ミシンは使わなかった。手縫いだと時間のかかることがよくわかる。 しかし、そのおかげで一番みたいのに、見られていなかったDVD「ホワイトカラー シーズン2」を見てしまうことができた。
相変わらず最後は「謎」を残して終わり。シーズン3のDVDの発売を待つしかない。
何時もあっちゅうまに終わり、「いったい何をしたんだ?」と思う連休を、どういう風に過ごしたかを記録に残すというのがこの黄金週間の私にとってのテーマでもあった。
おもに糸と針を使うことが多いなという印象を持つが、それは記録に残しやすいからに他ならない。載せられなかったこともずいぶんしたが、それらは近いうちに忘れ去ってしまうだろう。本を何冊か読んだことも。仕事をリタイヤしてもなかなか忙しそうだなと思う。
それにしても、まだ名刺にも、夏ハガキにも手を付けていない。
さて、これから息子の仕事着にポケットを付ける用事がある。(もっと早く言ってほしかったよ。ただいま午後8時10分前)
 2012.5.5
 昨日着てみてがっくりしたきつかったゴム。すぐに手直し。あと生協とらでぃっしゅぼーやの発注書作成。これが毎週毎週毎週毎週結構時間がかかる!そしてすぐにやってくる。しょっちゅう書いている感じがする。
こんなにも時間の経つのが速いんだと感心しつつあきれ果てる。
今日はここまでだろうな・・横でスタンバイしている箱包みはむりだろう。
午後8時だから。
最近メンバー様になったかたで、夕ご飯を午後7時ごろ食べて、一時間休憩そのあと散歩に一時間以上かける人がいる。だからおうちの帰られるのは午後9時半か10時か。そのあと風呂などかな?何故か12時まで起きていると厳格に決めている人がいる。それはそれでいいんだろうな・・私には考えられないが。
この日、メンバー様方に夏のイベントについての資料を送った。
 2012.5.4
前から気になっていたエプロンの不具合を直した。また長すぎて裾を踏んでしまいそうなスカートを二つ手直し。着づらいカフスのブラウス。
切り取って、ゴムに。
でもそのゴムがきつーい!要手直し!
リフォームって、手直しが必要なことが多い。
そして、それが手軽にできるところが、いいところかな? 
   恒例の「名探偵コナン」鑑賞 (左の画像はパンフレットより)
今回のタイトルは「11人目のストライカー」
いつもサッカーについてのエピソードは出てくるのだが、今回は徹頭徹尾サッカーだった。実際の選手をモデルとしたキャラクターが実名で出てきて、しかもアフレコを本人がするという、彼らにとってもエキサイティングな作品になったんじゃないかな?
その中で、ガンバ大阪の選手に言わせた言葉がこの映画で一番言いたかったことだろう。「走るのは苦手だな」と言った元太(コナンの級友)に対して、その選手がいう。
「走るのが苦手な選手もプロの中には多い。彼らは人より早く走り出すんだよ。そのためにはどの方向へどのタイミングで走り出せばいいかを常に考えているんだ。苦手だからと逃げるのではなく、その中で自分には何ができるかを考えることが大切なんだ」と。
それをきいてね・・JPCのメンバーさんたちに聞かせたかったですよ。
大分少なくなってきたとはいえ、まだ、「自分の事を〜は苦手」と決めつける人は少なからずいる。フレッシュレディの中でも強固に決めつける人がいる。まったく悲しくなっちゃいますよ。漫画に偏見を持たない人ならぜひコナンを見て欲しい。それにしてもコナン劇場版が始まってもう12年になるんだねぇ。来年もあるという。第13作は客船が舞台になりそう。
 2012.5.3
生協で買った肌触りの涼しそうなスカート、実際に着てみたら、なんか傑作。丈も中途半端で。
そういう時は「はい、エプロンにしましょう!というわけで。
←の写真はモデルがいいから、無茶かっこいい。私がつけると、金魚の出来そこない。
・・・ま、いっか。
中国語とハングル語は復習をして、初めて一回分予習をして、いざ、録画を見ようと思ったら、ない!どうもゴールデンウイーク中はないようだが、その場合その代わりの番組が録画されていてもいいんじゃないかい?と思うのだが・・・時間とタイトルで管理しているのかな?この頃のDVDデッキは。 
 2012.4.30  昭和の日と振替休日でしたこと
   
 生協の通販である。自分のオリジナルのバッグは作って持ち歩いているが、いわゆる巷のバッグのキットというものはどういうものなのか知りたくて申し込んだ。持ち手の付け方が初めてだったので、勉強になった。  これも生協で買ったのじゃないかな?どうもしくじる場合が多い。返すもの面倒くさいから、リフォームの予備軍が増える。これはエプロンによさそうだから、なかなかいい素材だ。
   棒に細いペーパーをくるくると巻いて形づくり糊で貼り付けていくもの。TVでやっていたから、一度はやってみたかった。
これは難しいものではないので、気がるにできそう。
これをやりながら、見たいと思って買っていたDVDを見た。
字幕を選んだので、結構上向いたり、下向いたりして大変だった。
   
   
 中国語はとにかく単語を覚えないことには話にならないことがわかるが・・あと四声・・  ハングルに至っては読みは覚えれば何とかなるかもしれないが、まだ文章の成り立ちがよくわからん。
 2012.4.25 岸和田市の五風荘へ行って来ました。
   肝心の五風荘がベールの向こうに隠れて、いるではありませんか。まあ、「花より団子」、「城より団子」の私の事、料理に興味津々。もちろん完食させて頂きました♪
■五風荘由来
(市の指定文化財。)元は旧岸和田城主岡部氏の新茶屋跡を明治維新の後、当地の財閥寺田利吉氏が十年の歳月をかけて邸宅南木荘としました。氏の没後、諡(おくりな)である「五風院」に因み「五風荘」とその名をかえます。2400坪を超す広大な敷地には格調高い主家をはじめ山亭、八窓席、残月席の三茶屋が設けられ、優美な庭園に見事な景観を映します。
ーーーーという立札が入り口に建てられています。
その五風荘を「がんこ」が岸和田市から借りているというわけ。2011年に放映された「カーネーション」では何回かロケに使われたようだ。
満腹になったあと、手入れされたお庭を散策させてもらった。適度に池や小川のような景観が配置され緑に囲まれた空間に身を置くと、別世界にやってきたような気分であった。ただ、大きな庭石が敷き詰められていて、うっかりすると足首をくじいてしまいます。行かれる方はお気をつけて。(え?誰もそんなへまはしない?たはーすんまへん)
なんといっても岸和田城が直ぐ目と鼻の先と言うのが嬉しい。天守閣が元は五層であったのに、三層の天守閣として復元したことが名城100選から漏れたのではないかということである。大阪府で名城100選に入っているのはたった二つ。大阪城と千早赤坂城なのだ。知らなかったなぁ・・千早赤阪村には按図策駿で行ったというのに。
 2012.4.15 「戦火の馬」を見てきました。 画像はパンフレットから。
 
 小作人に30ギニーで買われたサラブレッド「ジョーイ」が農耕馬代わりに畑を耕し、やがて始まった第一次世界大戦の真っただ中へ軍馬として駆り出されていく。小作人の息子アルバートとの貧しいけれど楽しかった日々。イギリス陸軍大尉ニコルズとのスポーツのような戦闘訓練(画像左上)。ドイツ兵につかまり、ドイツ軍の軍馬として働かされる。ドイツ人兄弟とのつかの間の日々、黒馬の友達トップソーンも一緒だった。兄は母親と「弟を守る」と約束したから脱走したのだったが・・。残ったジョーイとトンプソーンを見つけたのは、かわいいエミリー。祖父とともにジャムつくりをしているが、馬たちと出会えてとても幸せそうだった。心臓なのかどこなのかはわからないが持病があるようだった。しかし、その楽しい日々も続かず、またドイツ軍に引っ張られて、ジョーイ達は重い大砲を丘の上まで引っ張り上げる重労働を強いられる。重労働はジョーイが代ってするようにしたにも関わらず、次第に弱ってきていたトップソーンはやがて、目を閉じてしまう(この目を閉じるというのも演技だとしたら大したもの)。友を失った悲しみに離れがたいジョーイにドイツ兵の馬係が「逃げろ」と叫ぶ。狂ったように走るジョーイ。両陣営に張られた鉄条網に絡め取られて両陣営の真ん中で身動きできなくなったジョーイをイギリス、ドイツの兵士各一名ずつが出てきて助ける。どちらが引き取るかはコインで決められたが、この時コインが反対向いていたら、運命は変わっていただろう。イギリス軍に引き取られたジョーイは前足の付け根をけがして、どうやら破傷風だろうということになり、危うく射殺されそうになったとき、毒ガスで一時的に目がみえなくなっていたが、アルバートが気配を察して、昔ジョーイを呼ぶときに使っていたふくろうの鳴き声を聞かせた。ぴくっと反応するジョーイ。医者は「人間と同じように心をこめて治療しよう」と約束する。(「やりゃあできるんじゃないか」とその時は思った。)。私がこの映画を観ようと思ったのは、戦火の馬が最後まで死なないことがわかっていたから。
ところで、ジョーイ役の馬が14頭もいたなんて驚き。それぞれがジョーイの特徴4本の足に白いソックス、目の間に白いダイヤ柄のメイクをしなければならなかったという。45分もかけて。大砲を引くための大きな輪っかを首にかけるのを嫌がるトップソーンに大丈夫だよと教えるジョーイ、また、鉄条網を体中に巻き付けて走るジョーイ。あり得ないんじゃないかと思える馬の演技に舌を巻いてしまった。動物愛護協会の代表者がずっと参加していたようだから、その鉄条網はアクリル製だったそうだが。あと14頭も次々違う馬が出てきたら、わかってもよさそうなものだったのに、と思って、沢山馬の載っている写真(一番上の画像)を見ると、なんと皆同じような目をしている。毛の色が同じだったらわからないなと納得した。もう一つ、ジョーイの表情で忘れられないのがある。重い大砲をひいていた一頭が傷つき倒れて動かなくなり、そのあとをトップソーンにひかせようとしたドイツ兵の前に躍り出たジョーイ。自分のほうがこんなに元気なんだ、とアピール。友であるトップソーンを休ませたかったのだ。その自分のアピールが聞き届けられたときの目つきが「やったぞ!」というように見えた。とにかくCGなどを一切使わず、それぞれの役割を果たしたスタッフのみなさん、そしてもちろんスピルバーグ監督に拍手を送りたい。
戦争とは人間だけではない、多くの馬の命も奪うものであった。けっして起こしてはいけないもの。そして、何としても生き抜くことの大切さを教えられた映画だった。(ところで、なぜ最後の場面でエミリーの祖父があのリボンを持っていたのかが、中央下の画像で判明した。)
 2012.4.13  洋裁の時の工夫。
 TVで見たことである。まず、型紙を作る時には縫い代も付けて作る。そして、1センチ、2センチ、3センチと線を引いた15センチメートルぐらいのゲージを作っておく。その線に沿ってアイロンがけをすれば、そこが縫い代なしの型紙のサイズになるというわけ。
今まで、型紙の型を取って、さらに縫い代分を測って、またチャコペンシルで線を引いてというのが、とても面倒だった。
もう一つのアイデアは縫い初めがミシンの穴に入るので、布の端に糸を付けて、ひっぱるというもの。
なんて素敵なアイデアだろうと感心した。糸がついてないと、引っ張れないし、押しても上手く進まない。今まではミシンを止めて、抑えを挙げて、少し布を進ませたりしたものだ。
さらに、ウエストのゴムを2本入れる場合、ゴムの先に安全ピンを止めて、2本同時に入れていく。なんというアイデア!
アイデアはスピードアップにつながるということがよくわかる。
 2012.4.3  免許更新の時もらった「安全運転」の冊子より
  ◎自動車の前後にマークをつけなければならない者。
■初心者マークは免許取得して一年未満のもの。
■聴覚障害者マークは普通免許を受けたもので、両耳の聴覚が補聴器を用いても10mの距離で90デシベルの警音器の音が聞こえない程度の聴覚障害のあることを理由に免許に条件を付されているもの。
■高齢者マーク:(以前のものと変更になった。) 普通免許を受けたもので、70歳以上のもの。(強制ではないようだ)
■身体障害者マーク:普通免許を取得するもので、肢体不自由であることを理由に免許に条件を付されている身体の不自由な運転者。(強制ではないようだ)

・初心者マーク以外はしらなかった・・・(高齢者マークが変わったことも。)
◎高齢者に多い運転特性。
自分に甘く、「相手が止まってくれるだろう」など、他者に頼った判断をしてしまう。
■周辺視野に対する注意配分が不得手で、危険因子を正しく認識しない。
■危ないと感じても、ブレーキを踏むなどの回避措置が遅れる。
■周辺の交通状況の変化を踏まえることなく、画一的な運動行動をする。
■速度は控えめであるが、加・減速のタイミングが遅れる

◎加齢が及ぼす運転への影響
疲労回復力が低下
■複雑な情報を同時に処理することが難しい
■注意力の配分や集中力が低下
新しい情報に接すると、直前の情報を忘れる。
■若い時と同じように行動しようとし、その結果実際の行動とズレが生じてしまう
■長年の経験から「ここでは危険はない」と思いこんだり、見込み違いをしてしまう
■他の車や自転車・歩行者とのコミュニケーション能力が低下する。

これからいやでも高齢者が増えていく。被害者にも加害者にもなる、高齢者、どうすれば自分を守れるか、相手を守れるか、ますますの脳トレが必要というわけだろう。
そして、運転しない人、もしくはしない方がいいなと自覚する人は返上するべし。私自身はそうするつもりだ。
 2012.3.31 70歳のあなたへ
 毎日聞いているラジオのコーナーで、「子供の唄」と言うのがある。小学生以下の子供たちが書いた作文をアシスタントのお姉さんが読むというもの。先日小学4年生の子供が「二十歳のあなたへ」というタイトルで作文を書いていた。いやぁ〜おもしろいな☆と思った。だから私も「70歳のあなたへ」というお手紙を書くことにしよう。
ーーーーー
70歳のあなたはまだ生きていますか?大病や怪我はしませんでしたか?いま60歳の私の目標は「毎日を平々坦々と過ごすこと」「極力感情の起伏をなだらかにすること」そのためには「考え方を柔軟にすること」などです。70歳のあなたは今もそう思っていますか?
ところで、いま毎日やっていることに『按図索駿』と勝手に名づけてネット上で、あちこち訪問することがあります。JPCのメンバーさんに「苦手なもの、あるのですか!?」と訊かれて、「そういえば、場所をまったく知らんな」と思い当たったからです。ほかの人が旅行に行った話などしていても、まったくついていけない。へたに話でも振られようものなら、「そりゃいったい何県のはなしですか?」などと訊き返してしらけられること甚だしい。60年、いや今年61になるのだから、61年間生きてきて、あまりにもひどすぎるなと反省して始めたもの。今はまだ大阪府の南半分のところ、明日からやっと泉佐野市。70歳のあなたはまだ按図策駿を毎朝やっていますか?もう世界旅行していることでしょうね。もしかしてもう終わりましたか?
JPCはまだ健在ですか?ピアノはまだ弾き続けていますか?そうそう、ところで、大きな地震などの災害はなかったですか?2012年の今はそのうち東海大地震が起きると言われ続けています。2011年の東北大地震に続く津波の模様は放映されるTVの前で凍りついたように声もなく立ち尽くすしかありませんでした。今も原発の後始末ができずに被害に遭われた方々は苦労しておられます。大阪も近くに福井原発があります。モンジュもある。日本海に大地震がおこり大津波が起こると、東北のそれを上回る災害になるのではないかと懸念されます。真の脱原発に向かうのかどうかはいくつかの選挙時期を待たねばならないかもしれません。本当はそんな悠長なことをやっている場合ではないのですが。
70歳のあなたに訊きたい。あなたが70歳になるまで、災害は起こったのでしょうか。まだ原発に電力を頼っているのでしょうか?
きりがありませんので、今はここまでに致します。また65歳の私が70歳のあなたにお手紙を出すかもしれません。どうぞ、元気で生きていてください。
 2012.3.29 想うこといくつか
■「水を飲んでも太る」という人がいる。
まさか本気でおっしゃっているのではあるまいと思うが、何も声高に言うこともあるまい。「ははは、そやな。」などという無責任な相槌を聞いて安心なさるのだろうか。
■「食べるものを我慢して1年や2年長生きしても仕方ない」という人がいる。
あのね、何を根拠に1年や2年と言い切れるのか。いや、長生きできないという意味ではない。人間って残念ながらそんなに早く死ねないのである。無茶苦茶な食生活や日頃の乱れた生活態度で、身体がぼろぼろになっても何年も生き続けなければならない。ねえ、あちこち痛いとか、苦しいとか、鬱になって閉じこもったりした状態で生き続けたいですか?それらの多くの原因が「食事をおろそかにしたから」というのが大きいウエイトを占めている事がわかっておられるのか。つまり、よく「誰かに何かを言われたからうつになった」とか「何かをされたから閉じこもる様になった」とか思われるケースも、根本に食事があると思えてならない。ちゃんとしたものを食べていれば、少々のことではぐらつかない。事象をあるがままに受け入れて、「ならばどうするか」と考えることができる。ただ、精神的なものに関しては周りの者のサポートが必要な場合も多いが。その場合は周りの人たちの食事がきちんとされているということが重要な要素となる。
■今日は「減塩デー」らしい。
日本人は世界で一番?塩をとる民族であるらしい。だから減塩?何のために?長生きするために?
おかしいですね。たしか日本は世界で一番かどうかはわからないが、長寿国ではなかっただろうか。もちろん今平均寿命の上を受け持ってくださっている方々がおられなくなってくると、平均寿命も下がってくることはわかっているが。それにしてもナトリウムをとる量を減らすと同時にナトリウムを追い出すカリウムをたくさん含んだ食品を多く摂る事、などとラジオで言っていたが、果たしてそれを鵜呑みにしていいのか?たとえばカリウムが多くてもコレステロールも多いといった食品などもある。ある一面だけを見ていては絶対にいけない。ならばどうすればいいのかという人には、「いろいろなものを少しずつ召し上がれ」と申すことに致しましょう。
■夫(☆)との会話
J「えーっと今○○キロだよね、体重」
☆「いや△△キロや。(質問した数値+6s)」
J「はぁ!!!何時の間に???」
☆「まえからや」
J「なんですとー!!!・・・・思い当たることは?」
☆「ない!」
J「もうやせんでええんやな?」
☆「あかん」
J「・・・・」
 2012.3.27 煎り酒が当たりました!
  もう忘れるほど前。とはいえ今年になってからだと思うのだが。
和田はつ子氏の「料理人季蔵シリーズ」の最新刊の帯に応募すれば「煎り酒が当たる」と書いてあった!
「煎り酒」は何度か自分でも作っている。酒を2合に梅干しを6〜8個入れて私の場合は10分ほど煮る。火を止めてから、鰹節を一握り入れて冷めるまでそのまま置いておく。
冷めてからざるで濾して、私はもう一度2番出汁を作る。梅干しと鰹節はそのままで、酒だけ追加する。この時は上等のSONOKO酒を入れる。また10分。冷めて濾す時に、梅干しをつぶして、鰹節もしっかり濾す。その二種類を足す場合もあるが、別々にしておく場合もある。なんだか2番出汁のほうが美味しいんじゃないか?などと思っていた。
というわけで、無手勝流で作っていたものだから、本当はどんな味なんだろうと、知りたいと思っていた矢先の募集だった。 届いたものをワクワクしながら、開けた。
成分を見て多少がっかり。だって、梅酢、醤油、鰹節エキス、清酒、砂糖、ブドウ糖、昆布エキス、アルコール、調味料(アミノ酸等)となっている。
まず梅干しではなく、梅酢となっている。さらには清酒とあるのに、なぜアルコールなどというものを入れるのだろう。醤油が無かったころの調味料のはずなのだから、醤油を入れるのは反則だろう!と一人で憤ったりして・・・味は案の定「梅酢入りの出汁醤油」という感じ。まあ、それはそれなりの使い方もあるってなもんですが、これはまったく「似て非なるもの」だなあと、思った。
その他の話題。
■指の力が無くなってきた、と言う人が結構いる。そういう人たちは料理をするときはどうしているのだろう。料理って握力必要だよ。
■毎日「食べないといけないもの」のようにバナナを食べる人がいる。何故だろう。確かにバナナを主食にしている民族もいるようだが。つまり、それほど糖度が高く、でんぷん質も多く、カロリーも高い。ある人は「お通じにいい」といい、ある人は「ダイエットにいい」という。聞くたびに「??」と思う。根拠は?と訊くと、「TVで言っていた」とか、「みんな(???)言っている」とか・・ 
お通じはともかく、バナナは、それだけを食べてほかのものを食べなければ痩せるかもしれない。(やたらカリウムの多い果物であることも気になる。)だが、そんなやせ方はNGだ。なぜ痩せたいという人は「普通の食事」をしないのだろう。いままで、普通の食事をしなかったから不健康に太っていたのではないのか。もしくは病気に悩んでいたのだろう?痩せて健康になりたいなら、「普通の食事」を食べなければいけないことは火を見るより明らか。ただし、その「普通の食事」を理解していない人が多いのに驚くばかり。ケースバイバイケースだから、ここには書ききれない。お知りになりたい人はご自分の食事を一日分写真に撮ってもって来てほしい。
■今はトマトジュースがスーパーにないという。どうなっているのだ。ある種類ばかり食べていていいわけがない。確かにリコピンには抗酸化作用があるようだが、そこからなぜ「ボケ防止になる」とか「抗がん作用がある」などとなる?単独でそういう効果を得られるわけがない。
■検査を受ける人が多い。見ていると「異常なし」の検査結果をもらうのが当然であるかのように思っている人が多いように思う。もしそうではなくて「異常あり」という結果をもらった時のことを考えておられるのだろうか。
高血圧や高コレステロールなどの生活習慣病なら、薬を飲み続けるのだろう。それよりも生活習慣を変えることを考えないのだろうか。
さらに悪性の癌などならば、その後、抗がん剤など、癌と闘う?一生の始まりというわけなのだろうか。心を萎えさせることなく過ごしてほしいものだと思う。なぜなら、そういうものを調べるために、もしくは発見してもらうために自ら検査を希望したのだから。
物は考えよう。「発見されてよかった」と思って、前向きに生きて欲しい。どんな生き方をしても、一生。自分の一生は自分が左右するということを肝に銘じておきたいものである。
 2012.3.11 うつ病医療について

うつ状態自己評価表。
希望者にお渡しします。(JPCメンバー様対象) 
軽症うつ病の臨床として、外来70人中4人がうつ病で、そのうち3人は見逃されている。
その原因として、最初からうつ病と自覚して、 心療内科などを受診する人がいないため一般科特に内科を受けて、身体症状で診断名がついてしまう。
■身体症状としては:疲労倦怠感、不眠、食欲減退
・「けだるくて、疲れが取れない」
・「眠れない」
・「食欲がない」
・「後頭部が重くて、肩が凝る」など。
それ以外の目に見えない症状が見逃されてしまう。
■感情障害:抑うつ気分
・「気分がうっとうしい」
・「訳もなく悲しくなり涙が出る」
・「淋しくてじっとしていられない」
・「何をしても面白くない」など
■意欲行動障害:意欲低下、自殺念慮
・「何もしたくない」
・「ゴロゴロしていたい」
・「生きている価値がない」
・「死にたい」など
■思考障害:集中力低下、マイナス思考、心気妄想
・「考えがまとまらない」
・「物忘れがひどい」
・「悪いことばかり考えてしまう」
・「ボケ始めた」
・「癌にちがいない」
←これを読んでいて思うことは「何もしたくない」時や「ごろごろしたい」ときなど結構ある。だから時々そんなことを思ったからと言って、即「うつ病だ!」などと思う必要はない。最低でも2週間以上その状態が続くなどがあれば、精神科を受けてみればいいことだろう。「死にたい」と思うこともあるだろうが、心配しなくても『ちゃんと死ねる。』それよりも、どう上手に死ぬかが問題だろう。いつも申しているように、「上手に死ぬには上手に生きていること」。肝に銘じていてほしい。

←こちらを見ていると、「ボケ始めた」とか「癌に違いない」などということは少なくとも「自ら」考えることではあるまい。
「物忘れがひどくなる」のも、トシをとれば当たり前の事。「そうか、物忘れがひどくなるトシになってきたのだな」とまず、しっかり受け入れて、「ならばどうするか」をこれまたしっかり感がえる。
あと、何事も一人で悩まないこと。誰か聞いてくれる人に、思うことを聞いてもらう。いろいろな悩みは誰にでもある。悩みを聞いてもらうつもりが、いつの間にか、聞かされているかもしれない。それもいいだろう。一時的な「軽症うつ病」ならそれでよくなるはず。
ところで、心療内科、精神科、神経内科などややこしい科名がある。それについては以下のサイトで詳しく説明されている。
http://body-thinking.com/column/clm_distinction.htm
抜粋させて頂きます。ーーーーー
受診科の選択の例
・身体の症状がメインだが、検査をしても異常がない、あるいは、経過からストレスなどが関連していると思われる。⇒ 心療内科
・不眠や不安、イライラ、抑うつ、幻覚など、心の症状がメインである。⇒ 精神科
・身体の動きがおかしい、ふるえる、傾く、力が入らないなど神経の異常が疑われる。⇒ 神経内科
・身体の症状と心の症状が同じくらいあり、どちらがメインか区別がつかない。⇒ いろんな可能性があるので、まずは内科を受診して器質的な疾患を除外する。あるいは、内科・心療内科・精神科のうちのいずれかにまずは電話で適切かどうか相談する。
・最近ストレスを強く感じることがあり、それ以降身体の調子が悪くなったが、それ以前は全くそんなことがなかった。⇒ 心療内科
といったことになります。もちろんこれ以外にもいろんなケースがあります。
また、施設によって独自の事情もあるので、これが全てに当てはまるというわけではありません。実際には選択に迷うことも多々あるでしょう。
そんなときは、無駄足を運ぶ前に、まずは医療機関に電話で問い合わせをしてみることをお勧めします。
ーーーーーーーー
 2012.2.26  「ALWAYS 三丁目の夕日’64」を見てきました。3Dはレイトショーしかなく普通版だったのが残念。画像はパンフレットより。
 
 第一作目は2005年11月に上映されたようだ。設定は昭和33年、そして「続・三丁目の夕日」が2007年に。どちらもヒットしたらしい。リアルタイムに見ていない私にとっては残念至極。この第三作目の上映が近づいたころ、TVで放送されていた。それも初めから見たわけではない、鈴木オートのろくちゃん(堀北真希)が怒髪天を突いた社長さん(堤真一)に怒られて、押し入れに逃げ込んだところからしか(「続」のほうだったようだ。)。いったい何をあんなに叱られていたのか、今もってわからない。だけどそのTVを最後まで見て、「こりゃー第三作目を見ねばならんな」と思ったのだ。2012年上映の第三作目は設定が昭和39年、そう!オリンピックが開かれた年だ。第一作目は子供たちは西岸良平(さいがんりょうへい)原作の年齢と同じぐらいだった。鈴木オートの一人息子一平(小清水一輝)は9歳、鈴木オートの向かいの茶川商店の引き取られた子供淳之介(須賀健太)は10歳、そしてろくちゃん役の堀北さんは16歳だった。7年の月日は大人はそう変化させないのに、子供たちにとっては驚くほどの成長をもたらした。私にとってはまるでハリー・ポッターシリーズで、ハリーやロン、ハーマイオニーの成長ぶりに驚かされたと同じような想いだった。1作目が「出会い」なら3作目は「巣立ち」がテーマだという。たしかに・・。2作目は東京タワーができたころ、「中間地点」だという。どゆこと?と思うが、見せ場はありましたよ、須賀健太君のおかげで。茶川龍之介に引き取られた古行淳之介(両者とも原作通りの役名だが明らかに作家をもじっている)を演じた須賀健太君はあちこちで以前から見かけて、「うまい子役だな」と思っていたが、なんと17歳の健太君は主役の茶川龍之介を演じた吉岡秀隆氏をもって「改めてすごい役者さんだと思った」と言わしめるほど。ちょうど映画と同じように将来の事を考えないといけない年齢で、かれはこれからも役者を続けたいと言っている。今まではそして、この映画でもだが、「まじめで芯は強いが思いやりのある」役がほとんどだ。その健太君がもし悪役を演じたらどうだろうと、思うだけで少し背筋がぞくっとなる。それほど恐ろしい悪役を演じるだろうと思えるほど、上手い!この映画を観て、果たして自分の昭和39年はどうだったのだろうと考えた。頭をひねってみてもさっぱり思い出さんとはいったいどーゆーことだ!と呆れる。いや、待てよ、そういえば日本の選手団のブレザーが赤かったことは覚えている、それと聖火台がプリンをひっくり返した形だったことも。ここで、記念に昭和39年ごろの出来事を書いておこう。(パンフレットより)
4月1日:日本人の海外渡航が自由化される。(それまでは自由じゃなかったのか!)
4月6日:「ひょっこりひょうたん島」放送開始
9月8日:道路交通に関するジュネーブ条約に加盟、日本人の国際運転免許証の利用が可能に。
9月17日:東京モノレール開通。
10月1日:東京新幹線開通。東京新大阪間を「ひかり」が約4時間で結ぶ。
10月3日:日本武道館開館式
10月10日:東京オリンピック開催。アジア初のオリンピックで、史上最高の93の国と地域が参加。
(このオリンピック開催まで、関係者は夜昼となく必死で働いたんだろうな。今もスポットとして残っているところがあるようだから、東京に按図策駿で行ったときには訪れてみようか。)
その他の事
・「かっぱえびせん」発売
・「平凡パンチ」創刊
・「ホテルニューオータニ」「ホテル高輪」「東京プリンスホテル」などが開業
・王貞治がホームラン55号を放ち日本新記録樹立
・青山和子「愛と死をみつめて」が日本レコード大賞。
・アイビールック流行
・「みゆき族」登場。(このみゆき族ってまったくといっていいほど知らないな〜)
あと日米間に海底ケーブルがどおり、黒四ダムができた。ゴジラ、007、アトムや鉄人28号のロボットアニメ、隠密剣士などの忍者もの、バービー、タミーちゃん、GIジョーなどの人形、「巨人・大鵬・たまご焼」が流行った時代。
高見山が角界デビューしたのもこのころ。
まだまだいっぱい「うわぁ、このころやったんかぁ」というのがいっぱい。ちょいと過去を覗いて見るのもいいものですね。
この映画は「寝てたら起こしてや」と言った連れ合いも、「全然興味ない」と言ったのになぜか一緒にいった次男も一睡もせず楽しんだようだ。
後味のいい映画でしたよ。そうそう、おそらくこの映画で言いたかったことは小児科医役の三浦友和さんが言った「今は皆が上を目指している時代。誰もが出世をしたいと望んでいる。だけど、本当に幸せってなんだろうと考えたとき、それとは違う生き方があってもいいんじゃないか」という言葉に集約されていると思う。
 2012.2.24  話題いくつか
 書こうと思った時に書かないと何を書きたかったのかころっと忘れる。
■昔取った杵柄は、今のそしてこれからの行動の支えになるかもしれない。それはそれで「いい思い出」として胸に秘めて生きていきたいもの。忘れもしない思い出がある。あれは何年前になるだろうか、いや何十年前と言った方がいいかもしれない。ということは私は何十年も若かったということだ。(うふ、私にも若かりし頃があったんだなぁ・・今では信じられないが)。もちろんこの場所で薬局をやっていたころの事だが。当時は薬店ではなく薬局だった。バブルがはじける前だったので、それなりに忙しく、誰かを雇おうと貼り紙を店頭に貼り出していた。おひとり来てくれた中年のご婦人。近所のJR(もしかしてまだ国鉄と呼んでいたころかもしれない)官舎にお住まいで、ご主人は助役さんだという。私より幾つぐらい年上だったのかな?それではためしに翌日からということでエプロンをしていただいて、店頭に立っていただいた。お客様への対応に問題があるなと思い、「ああいう時は、そのような言い方をせず、このように言ってくださいね」と申したのです。それが雇用者の務めだと信じて。しばらくだまって考えている風だった彼女、やおら「やはり私には勤まりません。失礼させていただきます。」とエプロンを外すのももどかしく、とっとと帰ってしまった。とてもプライドが高かったことを考えるときっと高学歴でもあったのでしょう。そしてなんといっても助役の妻。きっと官舎ではその助役さんの部下の奥様方にちやほやされていた方かもしれない。なぜうちのような薬局で働きたいと思ったのかは知らないが、それではどこへ行っても務まらないでしょう。心得違いをしておられるのが哀れでもあった。
自分の過去の成績や功績、まして、夫の地位などにすがり付いていては、情けない人生しか送れないと思う。今の自分がどうなのか、これからはどのように生きようと思っているのか、そして、それを実行しているのかどうか。その最後の項目がとても大切。立派なことをいう人は多い。世の中には口達者なおえらい方々がたくさんおられる。でも、それを実行するひとは本当に少ない。『実行する人間』こそが信頼に値する人間だと私は思っている。

■いま生協で買った『イージーリスニングで聴く〜世界の抒情曲集〜』というCDをBGMにしている。その前はJEROの新曲の入ったアルバムを聴いていた。演歌というやつは聴くまでがどうも重たくていけません。ええい!JEROのやないか!私が聴かずしてどうするんじゃ!と気合を入れてスイッチオン。ジェロのいい声、上手いな!さすがに。としばらく聞くことに慣れていた。
さて、その生協のイージーリスニングを聞き出すともういけません。演歌やましてジャズなんぞには戻れない。
ニ二・ロッソやリチャード・クレイダーマン、レイモン・ルフェーブル、ヘンリー・マッシーニ、クロード・チアリなどのメンバーが奏でるシバの女王、ベサメ・ムーチョ、リリー・マルレーンなど、どの曲をとっても気持ちがいい。トシをとるにつれてますますイージーリスニングが好きになっていく私である。

■昔弾いたピアノの曲が弾けない。理由はおそらく、今弾く曲をいかに簡単にするかを考えて勝手に「簡単アレンジ」しているからだと思う。やはり、怠けるとそのしっぺ返しはやってくるものだなと思う。これからは、できるだけ自己流アレンジをしないで弾きたいと思う。つまり、アレンジしなくても弾けそうな曲を選べばいいのではないかと。。。これってやっぱり怠け根性かな。いや!老化現象だろう。
 2012.2.16  やはりてごわーい!!がま口
  生協で時々頒布会的手芸がある。毎月一回。6か月がワンクール。
今回はその6か月の中でこのがま口だけをしたいために注文した。まず編んだものをがま口に入れるにはひもが3本もいる!ことにびっくり。
でも、本当に三本要ったのか???と疑問に思う。入れるのきつすぎ。がま口ジャッキがない人にとってはきついんじゃないかなぁ。
これをクッキングパーティの後の見せびらかしにしようと思ったが、とてもじゃないが、できないなと・
それにしても何を入れたらいいんだろう。
今回のセットは「何に使うの?」というものが多すぎる。
はぁしんど。 
 2012.2.15  上野千鶴子箸『おひとりさまの老後』という本を、なんと生協で買った。
 なにか「ほぉ!」という話でもあればここに載せてメンバー様方の参考にしていただこうと思ってである。
まず、作者は京都大学を出てから、あちこちの大学の講師をし、ボン大学、コロンビア大学、メキシコ大学の客員教授をして、今は東京大学大学院人文社会系研究科教授をしているという、具体的に何を教えておられるのかわからない先生が書かれた本。
只今はシングル(1948生まれ)だが、結婚歴はあり。子供なし。親は看取ったあと。こういう女性である。
項目ごとに大体こういう事かな?と思うことを書いて見よう。
第1章:ようこそシングルライフへ
人は誰でも最後はひとりになる。
第2章:どこでどう暮らすか
「家で暮らしたい」と「家族と暮らしたい」とは違う。「都会か」「田舎か」。安全はおひとりさまの必要グッズ。
第3章:誰とどう付き合うか
大切な友人のネットワーク。愚痴の言い合える友人、パソコンがあれば世界がぐんと広がる。
第4章:お金はどうするか
手厚い介護はカネでは買えない。浮世の義理は気にしない。
第5章:どんな介護を受けるか
介護される側にもノウハウがいる。「介護される側の10か条」(たとえばどうしてほしいのかをはっきり言うなど)
第6章:どんなふうに「おわる」か
残すと困るものは早目に片付ける。最後は誰でも一人なんだから、孤独死はさけられない。その時長時間放っておかれるとウジが湧いたりして迷惑をかける。だから早く発見してもらわないといけない。そこで、日ごろから頻繁に連絡を取り合う友人が必要。
どんなふうに弔われたいかも考えておく。知ってもらえるようにする。
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さて、なにか参考になっただろうか。もっとじっくり読みたい方はJPCにありますので、どうぞお読みくださいませ。
一日で読んだのだが、非常に「時間を損したー!」ということでもなかったが、「読んでよかったぁ」という気持ちにもなれなかったのがちと残念。
わかったことはここまで高学歴な女性でも、将来に対する確たる自信はないんだなということが分かったぐらいだろうか。
 2012.2.8  話題いくつか。
 ラジオを愛用していると面白いことを聴く。
■経済ジャーナリストがゲストの時。
パナソニックやソニーの大赤字の事が話題になった後、パーソナリティ(67歳)がその人に訊いた。
五木ひろゆき氏が「経済的業績が落ちていく、その落ち方が問題だ」と書いておられましたが、それについてどうおもわれます?と。
そうすると若くて(40代かな?)働き盛りのジャーナリストが、苦りきった口調で、「もうね、そういう意見を聞くと、なんてこと言うんだ!と思ってしまう。そういうことを言うひとはこう言っちゃなんですがたいてい60歳以上の人なんです。そういう方々は、もうどうぞ、静かに死んでいってくださいと言いたいですよ。経済ってものは最低でも2〜3%の成長はないといけないんです。」よほど腹が立ったのだろう。
67歳のパーソナリティはは苦笑いをしていた。
私も60歳以上だから、静かに死んでいけばいい対象なのだが、意見はそのジャーナリストの方に70%賛成。
残りの30%は横ばいで十分じゃないかなと思っているから。その横ばいがどれだけ大変なことか。
それ以上無理をするとまた何年か後には今と同じ状態に見舞われる。
今の制度がピラミッド型人口構成を基準に作られたものなら、早急にそちらを何とかするべき。小さな変革は起こそうとしているようだが、もっと大ナタを振るわないと日本の破産沈没は免れまい。21歳の若いアシスタント(現役大学生)は「中国進出でどのぐらいの活路が見込まれるのだろうか」というような意味のことをそのジャーナリストに訪ねていた。返事はどうだっただろう。いいとも悪いとも言わなかったように思うが。今の若者たちがどんなに日本の行く末を案じているかがいたいほどわかろうというものだ。我々バブルではじけた時代を過ごしてきた者たちこそ静かに死ぬ前にしなければならないことがあるのではないだろうか。未来を担う若者たちにばかり苦労をかけてはいけない。
■もう一つの話題。楽しいものを作りました。
   春のクッキングパーティの後は恒例の「見せびらかしの会」。今までティッシュボックスカバーやキーホルダーを提案してくれていた「のとちゃん」がなんともう一つ、七色のひもを使ったチャーム(バッグなどにぶら下げる飾り)を紹介してくれた。そして、ひもや頭になる木のボールなど提供してくれている。簡単そうで、多少手強いこのチャーム、私は勝手に「魔除けチャーム」と名付けたが、当日全員でせーのとすると混乱しそうなので、いらっしゃるメンバー様を捕まえては作ってみませんか?と勧誘中。本日も5名様が作られた。それぞれになかなかまんざらでもないというお顔で作り終えられた。
 2012.1.20 「目標」というものについて気になること。
 「目標がないと生き甲斐がない」という人がいます。ではその目標が達成されたらどうするのですか?「次の目標を考える?」なるほどそれもいいでしょう。ただ、それが旅行などの外遊びしかないとしたら、どうだろう・・漠然とした暗雲を感じる。人間は生身の人間である。事故に遭ったり怪我をしたり、病気になったり、つまり自由に外遊びができなくなったらどうするのだろう、そういう人は。思い切って訊いてみた「事故や病気で外遊びできなくなったら何を目標になさるのですか?」と。そうすると、うれしいでしたね。「身の回りの事で出来ることを努力してする」という返事。やれやれ安心しました。「目標」などと大層に考えず、人生のちょっとした楽しみというとらえ方をしたらどうだろう。
 2012.1.20 ひき肉をいつまでも胃に停滞させない方法。
 私はひき肉料理が苦手である。餃子やシュウマイやハンバーグなど、食べた後、半日以上げっぷするとその臭いが上がってくる。これはいつまでも消化されずに胃に残っているのだろうと、食べることを敬遠していた。ということはもちろん作ることも敬遠。ところがあえて、この春のクッキングパーティは主菜が餃子。作り方はいわゆる常識を逸したもの。つまり、ひき肉を使わず、粘りも出さない。餃子の皮に包む前にすべての食材に火を通す。肉は薄切りを使い、火を通してから荒みじんにする。もちろん焼くときは油はひかない。そうすると、思った通り後を引く臭いがない。もちろんおなかにももたれない。どうも、粘りが曲者だなと、肉の粘りとはなんぞやというのを検索してみた。
ーーーyahoo知恵袋に載っていました。
■質問
ひき肉の粘りについて。
ひき肉に塩を加えてよく捏ねると、アクチンとミオシンが結合して線維状のアクトミオシンとなって粘性が出ると本に書いてあったのですが、なぜ塩を加えることによって結合するのでしょうか??
■ベストアンサー
アクトミオシンの形成に関係があります。
肉に粘りが出る、つまりゲル化が起きるのは、もっぱらミオシンの作る編み目のような構造によります。編み目構造は、主に2つの理由で出来、強くなります。
ミオシンは、挽肉にした段階ではバラバラになっていますが、これらに食塩(または塩化カリウム)を加えると、互いのミオシン分子(繊維1本のイメージ)の間にある電気的な反発力が中和されて弱くなります。
これによって分散していたミオシンたちは、まず繊維の先端同士が互いにくっつき始めます。分散していた繊維状のものの、先端がくっついて行くわけですから、立体的な編み目になりますね。
食塩を混ぜた(こねた)段階で、全体はミオシン達の編み目にくるまれている、そういうイメージです。これで全体が塊になる、粘りが出る、という状態になります。
さらに加熱すれば、70度くらいでミオシン達の編み目はより強固になります。これはハンバーグなどの固まる原理ですね。
もうひとつ、加熱をしなくても網目構造はできます。これには、ATPという、生物の活動エネルギーをやりとりする貨幣のような物質が使われます。ATPの与えるエネルギーで、ミオシン達はアクチンと出会い、滑るように寄り添って網目状の構造を作ります。
実はこのATPを作るための酵素、ATPアーゼという酵素は、食塩の濃度が濃いほどよく働くのです。その最適濃度は食塩3%位ですが、カマボコがこのくらいの食塩を使います。
・食品蛋白質のゲル形成機構 中村 良、日本農芸化学会誌, Vol. 62 (1988) No. 5 pp.879-881
・ミオシンの熱ゲル化反応機構 鮫島&安井、日本農芸化学会誌, Vol. 62 (1988) No. 5 pp.892-895
このように、肉に粘りが出て固まるのは、もっぱらミオシンが編み目を作る性質を持つことによるのです。食塩はそこに、ミオシン同士が持つ電気的反発力を中和すること、編み目を作るエネルギーを調達する酵素の働きを高めること、の2つの影響があります。
ーーーー以上が質問と応えです。
なんとばっちり知りたいことを話題にしてくれていた事か。
私の胃はこの網目構造に手を焼いていたというわけなのだろう。一方ひき肉料理の好きな方はその編み目構造をものともしないというわけなのでしょう。いずれにしても、胃にもたれない餃子をこの春メンバー様方に召し上がっていただきましょう。
 2012.1.20 ウィキペディアについて。
 ●ウイキペディアに寄付
ウイキペディアをよく使う人は知っていると思うが、広告が一つも入っていない。だから、資金は世界中のウイキペディアを利用する人たちからの寄付で賄っている。今私は「按図索駿」と称してネット上でまず近辺から、そして、日本中、はては世界中に旅をするつもりである。だから、おそらく一生ウイキペディアの世話になるだろう。寄付を募る時はページの上部にそれを意味するバナーが出る。寄付をしようと思ったが、どうもよくわからない。カードは使いたくないから、銀行振り込みの方法はないものかと問い合わせた。何度目かのやり取りののち、こちらの意図をわかってくれたらしく、メールが来た。
ーーーーーーー
口座名義人:グローバルコレクトジャパンKK
銀行名:三井住友銀行
口座番号:普通3031263
市(市町村):Tokyo
国の説明:日本
特別ID:あじさい支店 支店コード:954
あなたの取引明細には、 この寄付の受取者が「Global Collect(グローバルコレクト)」として表示されることをご承知おきください。Global Collect(グローバルコレクト)はウィキメディア財団への支払いを代行して受け付け、処理する権限を持っています。質問や懸念がある場合は、 donations@wikimedia.org までお気軽にメールしてください。
なお、振り込みの際には参照番号がその都度必要なので、ウイキメディアに問い合わせること。
ーーーーーーーとのこと
年に一度ぐらいは寄付をしたいと思っている。
 2012.1.12 今年の隙間脳トレの作品つくり方、サイトのページの作り方など固まってきた部分を書き留めておく。
●出品作品には製作日と氏名を明記のこと。メモリアル形式のものには一枚ごとに製作日、まとめた表紙に匹敵するところに氏名を明記。
●『出品期日は年末』を厳守すること。願わくば12月の第一土曜の忘年会のプレ展示会に出品できるよう努力すること。
●サイトのページの形式は、自分が作ったものも「上から下へ」見て行けるようにアップすること。徐々にアップするときもそれに注意。
 年が明けてから、みんなに見てもらう時、見てもらいやすいように。
●ページが長くなった場合は上部に「ラベルに飛んでいけるように、リンク」する部分を作ること。月ごとにラベルを付けること。
 「ラベル」の練習にもなります。
●隙間脳トレの内容を考えるときは全体量をどうしようかも同時に考えておくこと。(出来る範囲で・・などと言っていると何もできません。)
 2012.1.2  ぽち袋代わりに☆
  折り紙を手にしたのは二年前(だったっけ?)の「もやっとボール」以来。
2011年と2012年の隙間脳トレを「折り紙にする」とおっしゃる清子様が買われた折り紙の本を見ていて、思いついた。
中に小さなものを入れられる「花たとう」、こりゃーぽち袋にいいんじゃないかい?と。
余りにも幼すぎるこどもにはこの小さい折り紙「花たとう」の中に入った500円玉なんておしゃれで、興味を持ってくれそうで・・・
まあ実際どんな仕打ちに遭うかわからないが、まあいいや。これでいこう。

考えるのと実際にやるのとは大違い!
手引書に書いてあるのは二枚重ねにせよとのこと。(いちばん上のもの)
なんだかむちゃくちゃやなという感じ。折り目がつきさがしてあか抜けないし。
で、表裏が違う色のものも買っていたので、そちらでやってみた。まだましかな?
ひとつ引っ張りすぎてちょっと破れたが。

折り紙にも興味をもってくれたら嬉しいのだが、そうはいくまいな。