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2010年の 平 々 坦 々

毎日の暮らしの中で「お!」と思ったことや、「?」と思ったことなど思いつくまま書けるページがほしかった。
自分の覚書のためにも書き残しておこうと思う。

2010.11.21  二階の大掃除をしてもらっている間、店のテーブルクロスの総替えをした。
今日は一日中ミシン大活躍。 入ってすぐのところのテーブルはブルーとイエローのストライプ。実に違和感なし。 今まで木がむき出しだったテーブル(それはそれでいいのだが)もブルーとオレンジのクロスをかけた。水槽の水替えのときは取り払ってやる。
奥のテーブルはピンクの地色に青や黄色の水玉模様。なんだかひなびた感じで、かわいい。 さて、ここが片付けるのが大変だった。いい加減に顎が出てきたころにやったから、疲れたな・・・
長いテーブルには裾にレースを付けてある。
こちらのいびつな形のテーブルはこれが精いっぱいかな?下に端切れなどを詰め込んでいるから、見えると見苦しい。隠しても、なんだかあか抜けないが、まあ陳列されるであろう作品群を見ていただくのだから、いいとしよう。
2010.11.20  つっかけが痛い。その他二題
店ではへっぷというか、つっかけというかをはいている。バタバタと動き回る時が多いからか、とにかく消耗がものすごい。それで、もうちょっと丈夫なものがないかと、木靴?と言っていいのかどうか、底が木のものを買ってみた。歩き回る時、「ぱこぱこ」いうのは、さておいても、い、いたい!外反母趾のところが痛い。しかし、これは私にとっては新しい履物をはいたときの常なので、仕方がないなと、4〜5日何時間かずつはいて、ならそうとした。だめだ、とても、だめだ、慣れるまでにこちらの足がやられる。とあきらめようと思った時に、見つけたもの。シューストレッチャー。靴伸ばしとでもいえるもの。一日やっておくと、少しましかと思うが。どうかな。。。 この絵は今年うちわの絵を描くとき、というか、川柳珍道中のときに描いた絵である。最近ブログがマンネリになってきたようなので、漫画でカモフラージュしようというわけ。だんだん漫画が主流になって行ったりして・・・それならそれでまた楽しいかも。
新しい絵を描く時間がなかなか取れないのがつらいところだが、・・いや!違う。よく考えてみたら、あほほど絵を描いたんだった、今年。「妄想百人一首」で。おかげで絵はいっぱいある。
ブログの内容に仕えるかどうかは別にして、ブログにどんどん載せてやろうかと思っている。あ、しかし、その絵は今年はだめだったな。(未公開作品でないといけない原則。)
むっとしたTVネタ
あるパーソナリティとそのアシスタントがしゃべる番組で、ハリポタの映画のことが話題になった。
どちらも50歳以上。女性は60歳以上かな?「ハリー役の子なんちゅう名前だったっけ、あのこ、あんまりかわりすぎやな〜」「そうやねぇ。どうかとおもうわ」「今度のは3Dやて」「おしいことしたなぁ、今から映画化が始まったら最初から3Dでいけたのにな」「なんかね、まだつづくらしいで。終わりとはなってなかったように思うで。」・・・
あほくさいから、その辺で聞くのをやめた。小説ではホグワーツ(魔法学校)には7年間在籍することになっている。つまり、11歳から17歳まで。
普通の人なら、11歳から、17歳って、劇的に変わって当たり前じゃないだろうか。もちろん役者の彼らは、7年どころかもっと経っている。小説自体も7年以上たっているし。第一3Dでは見たくない。そうだと今までしらなかった私。なんだろう、メガネのようなものをかけてみる訳??
我々といっていいかどうか、私はというのが正解かな?映画と小説がごちゃ混ぜになっている状態。昔小説を読んでいたころも、その小説の中で、あの役者さんたちが動き回っていた。そして、頭の中で映画が出来上がっていたといっても過言ではない。それが再現されたり、裏切られて、全く違う表現方法だったり、そのどちらも見ていて楽しい物なのだ。役者さんたちの成長ぶりも楽しみの一つ。彼らはどんどん大人になっていかなければならない。最終章ではみんな子持ちになり、その子供たちがホグワーツに行くのだから。要するに何が言いたいかというと、ハリーポッターの物語が好きでもなく、よく知らない人たちがうわべだけ見てミソクソにいうのはやめてもらいたい、ということ。
しかし、まあ、逆にいうと、なにやかやと取沙汰されている内が華というわけかな?(プラス思考。)
2010.10.24  やっと10月末締め切りの事件簿の原稿ができた。
←こちらはやるつもりで準備した2日前。鉛筆で下書きして、あとはパソコンで打った文字で吹き出しを入れて・・・と思っていると、インフォシークのiswebが閉鎖になるとのことでにわかにてんやわんやの大忙し。おまけに、使っていたvistaがダウン!!!泣き面に蜂とはこのことやなーと頭をぼりぼり掻きながら・・そのまま丸一日おいて、ようやく日曜日の今日完成!明日に消しゴムをかけて、投函予定→。ばんざーい!!パソコンの引っ越しも済んだし。よくやったっ☆私。
それにしても、10月末の締め切りが多すぎる。この「事件簿」に始まって、「来春のピアノの曲選び」、「忘年会、名刺、年賀状の参加不参加の返事を受け取る」・・・それだけかな?まだ何かあったように思うが・・忘れてる???
11月になったら、『参加者の年賀状作成のための資料を作って送ること』と、『忘年会のためのメリーメッセージカードの印刷』『ダイレクトに入れる補助券のはんこ押し』・・・などと思っていると、また突発的な用事が湧いてでるか、降ってくるか・・もうこうなったら矢でも鉄砲でも持ってこい!ってなもんですよ。ああそうか・・隙間脳とれのサイトにアップする用意が50%のままだ・・・
2010.10.23 サブちゃんたちが誕生日プレゼントだと持ってきてくれました。
ホカホカグッズ。ダントツの寒がりの私にと、わざわざ買ってきてくれたようだ。襟巻と、スパッツというか、パッチというか・・・
ほんと暖かそうで、「寒さよどんと来い!」という感じ。
それにしてもかわいらしい。きっちりとプレゼントしてくれるのはとても恐縮する。
私はプレゼントを買いに行く暇もないだろうし(あれば寝たい)、きっといつが誕生日か忘れるだろう。
そのことはすでにサブちゃんに言っている。「誕生日とかクリスマスとかいう決まった日にはプレゼントはようしないけれど、必要な時に、必要なものはプレゼントしますね」と。
 2010.10.17 サブちゃん完成品搬入☆
   ミニチュアの水車小屋の作成。キットになっているとはいえ、ミニチュアの材木をこれまたミニチュアの大工道具で切ったり彫ったり、削ったり、たたいたり・・・
最終の追い込みはかなり汗だくになったよう。
お疲れ様、サブちゃん。

来年の展示会にはちゃんと陳列させてもらいますよ。
  私の隙間脳トレ作品『妄想百人一首』を夫婦して、もらってくれました。
そして、矢立の初体験。
「うわあ、書かれへんし、読まれへん〜」とか言いながらも、変体仮名を要所要所で使い、適宜のチラシ書き、なかなかのものでしたよ。
メンバーの皆さんのところにももらわれていくことを祈りつつ。 
 2010.10.9 5年に一度の同窓会 とはいえ、私にとっては何十年かぶり
  めったに出ない人間が外出するときは、雨降り。
ま、いいけどね、と言いながら傘差して外へ。車にしぶきをはねられながら、JRで大阪駅まで。そこからが、「あり?」「新阪急ホテルってどこだっけ・・」。とにもかくにも大阪駅構内から外へ出て、なんとか探そうと、陸橋に上った。ぐるりと見回して、「あった!」。また陸橋を降りて、紆余曲折しながら目的地にたどりつきました。
すぐにそれとわかる懐かしい顔、「うーむ」とお互い見合っても首をかしげるしかない顔も。「初めまして」のような挨拶をしたりして。先生が75歳でお元気。五年後もぜひ参加したいと頼もしい挨拶。それにしても、先生方の挨拶は打ち合わせたように、ご自分の病気の話。高校の時からバンドを組んでいた人たちが40年たった今も元気に演奏してくれた。ボーカル担当の人も、声にしわがれ感が出て、サザンの曲が良く似合うようになっていた。カッコいい!「かっこいいね」と隣の人にいうと大笑いされたがなぜ??髪が極端に少ないからか?そんなことは慣れとる!歌い手は声のよさと上手さで勝負でしょ!そんなこんなでいい加減疲れて、二次会は不参加。 
 受付で渡された名簿を見ていて、学生時代おしゃべりした同窓生が物故者で載っていると愕然とする。それも複数いる。こういう年齢になって来たのだなと。さて、5年後、開催されるとしたら、私は元気で参加できるのかな?
お世話をされた方々、お疲れ様でございました。そそ、高校時代はお互い存在を知らなくて大学で親友になった人が来ていて、感動の再会。全く変わっていないのに驚いた。すごすぎる。でも、親友が変わっていないのは、こちらとしては嬉しいもの。私ばかりが、しわしわのシミだらけになっていてごめんなさいね。
 2010.9.27 25日による見たTV番組から。
 何時も見ている番組が特番の為なかった。仕方がないなとチャネルを変えていると、人気グループのやっているバラエティ番組があった。そのなかでそれぞれが悩みを持ち寄り、それに対して四人のコメンテーターが回答を言うコーナー。
その中では私はO君が一番好きなので、どんな悩み?と思っていたら、同じグループのM君の割りばしをこすり合わせる癖が嫌でしたかがない。でも、面と向かっては言えないと。私が「おや」と思ったようにコメンテーター達も、その悩みが一番深刻だと。私にしたら、O君が独立してくれないかなと願っている。そして歌える役者として活躍してほしい。
そう、あおい輝彦さんがそうであったように。もう三十路なんだから、何時までもアイドルグループでいっぱひとからげで見られるのは居心地が悪いだろうと思う。言いたいことも言えなくて。かわいそうに。言えない理由はよくわかる。しゃべりが得意じゃないのだ。バラエティの特にトーク番組に出ても、静かで控えめだ。そういうところがまた好きなのだが、芸能界では不利だろう。まして、そのグループにはおしゃべりの得意な人が3人もいる。何か言っても、言い負かされるにきまっている。さらに、どうやらそのグループではその行儀の悪いM君が一番人気があるのだろう。
O君、思い切って飛び出しましょう!独立して、コンサートでも開くなら、O君から見たら老人かもしれないけど、私も枯れ木の一本として、聴きに行きますよ。O君の実力なら、バラードもいけるでしょう。しっとり聴きたいです。演歌でもいいですよ、もちろん。JEROと共演してくれたらもっと嬉しい。なんて夢は果てしなく。
そしてね。ぜひ個展を開いてください。好きな絵を描く時間も増えるでしょうから。大阪でも開いてくださいよ。
 2010.9.23 ある日のお客さんとの会話
 2〜3日前の店頭活動。60歳半ばぐらいの女性。胃腸薬のドリンク剤を持ってレジのところまで来てくださった。その時おっしゃったこと。(☆がお客さんの言葉)
☆「こんなもんばっかりのんでるねんけど、胃が張ってしょうがないねん、何かいい薬ない?」とのこと
「お食事はどういうものを召し上がっているんですか?」
☆「ご飯は食べにくいからお粥にしてる」
「まあ、では粥と梅干しとか?」
☆「いや梅干しでは栄養がないから、おかずは普通に食べている。」
「ほう、でも、油ものはやめておられますよね」
☆「いや元気付けなあかんと思うから、揚げものもたべるよ。この間は昼に外でてんぷらうどんを食べたワ」
「いやいやいや・・それでは胃がもたれるのもあたりまえですよ。具合が悪いときだけでも油ものは一切召し上がらないでください」
☆「そやけどあっさりしたもんばっかりやったら元気が出ーへんしぃ」
「お身体のほうはあっさりした物のほうが喜びますよ。」
☆「ふーん・・朝は牛乳とパンやけど」
「いやいやいや・・牛乳はあえて飲まなくてもよろしいですよ。油や農薬が含まれていますからね。」
☆「えっ!そうなん。パンはロールパンにジャムを挟んで」
「おお、それはよろしいですよ。パンにはジャムがいいです。」
☆「それと菓子パンも」
「えっデニッシュパンのような??」(なにか言われると思われたのか、その話はひっこめて。)
☆「なんかどこかに癌でもあるんとちゃうやろか」(急に話が変わった)
「うーむ・・・もしそのようなことをおもっておられるなら一度診てもらわれたらよろしいですよ。心配していることが一番いけませんので」
☆「・・・ストレスがあることもいかんのやろか」
「はい!ストレスは胃には一番いけません。もうね、なるようになるって思われたらいいんですよ」
☆「なるようにはなれへんしな・・もうやせてやせて、腕もがりがりになってきたわ」
「まあ、そうなんですか?どれどれ、おや、私の腕より立派な腕をされていますよ。それに年齢が高くなるほどやせはるほうがいいんですよ。腰にも脚にも負担を軽くしてやれますからね。」
☆「そういえば奥さんやせてるねんねー。ほな、ありがと」って帰られました。
クッキングパーティに参加しておられるメンバー様方ならおわかりだろう。
彼女は食事の内容を変えるだけで、薬は一切のむ必要のない事が。
 2010.9.23 敬老の日食事会。
  うちは今まで敬老の会の食事会というものをやったことがない。理由は「お義母さんのことを老人だとは思っていないし、第一、日々恩義を感じてありがたいと思っている。話も良く聞くし、意にそぐわない事でも、話し合ってなるほどと思えば従っている。敬老の日などというその日だけ敬うかのごとき日はうちには関係ないと思っていた。さらに、自分の立場になった時、敬老の日は祝ってほしくない。」からだ。ところが今年に限ってどういう訳か、夫が敬老の日の食事会をしようと言いだした。一応上記のことを言って、「あなたは敬老の日を祝ってほしいか?」と訊いたところ、「それはわからないが、もう80過ぎたらええやろう 」と自分の母親のことを評した。ならば、そうしましょうかと、サブちゃんたちにも声をかけて、店を早じまいして集合。仕出し弁当を食べながら、ほとんど「漢字の知識を競う番組」を見て過ごした。弁当も終わったころ、長男がサブちゃんに「そろそろ渡そうか」と言って、サブちゃんからおばあちゃんに「はい、プレゼントです」と柔らかいきれいなスカーフ。お義母さんにとっても初めてのプレゼントだ。さすがに笑みがこぼれて嬉しそうだった。で、サブちゃんが「おとうさんにもプレゼント」、というから、「わあ、お父さんにも敬老の日のプレゼントやて♪」と私が言うと、「えーっ!!敬老の日のプレゼントー????」と夫。するとサブちゃんが、「いえいえ誕生日プレゼントです」と。そういえば9月だったな・・・ほっとした顔の夫。「よかったねー」と私。ベルトをもらってこそばゆいような嬉しそうな顔をしていた。
さて、次の日、「ねえ、敬老の日、あなたは祝ってほしい?」って訊くと、「いや、ええわ」と夫。やっとわかったか、と内心思ったものだ。
 2010.9.12 ブドウ収穫??
  今年のうちの巨峰の収穫。
黒いところは甘かったが緑のところは酸っぱかった。きっと鳥たちは全部黒くなるのを待っていたのか、もしくは「そんなちょっぴり、鼻にもかけてないわい」ということだったのか。もしくは、美味しいところはもう頂き済みだということかな?
この房、真ん中がない。
さて、それはともかく、一粒でも味見が出来て、美味しいと思えて幸せでございました。
この調子だと来年はなしかな。
植え替えもしないし、肥料も与えないんだから、ブドウにしたら殺生な話だろう。 
 2010.8.13〜15 お盆でした
 
中途半端にして置かないで、
きちんと葬ってやりましょう、
と蜂の巣をすべて取り外した。
2010.8.13
この前日ついに心配していたことが起こった。次男が大慌てで「緊急事態発生!!」と仕事から帰って来たときに言った。そう、蜂の巣を見つけたのだ。そして、言いに来た時にはすでに大半を駆除した後だった。パニックになるだろうからと黙っていた私が悪かったのだ。ごめんよアシナガバチ。
ありがたい事に近所に ある墓参りをして、初めて難波の大手パソコンショップへ。office2010が2007とどれほど違うのか知りたかったのだ。結論はパワーポイントが規定で入っている以外違いなし!
 
  2010.8.14
 朝から私の実家のほうのお墓参り。
その次に見た映画「踊る大捜査線」についてはトピックスにリポートを載せる事にする。
そのあと、お義母さんのところにみんな集まって食事会。背景はただ今リフォーム中のリフォーム後の部分。
この猛暑の中大工さんも、やってもらうほうのお義母さんもかなりお疲れの様子。お互いばててしまわないうちに、無事に終わりますように。
 
  2010.8.15 
さて、連休の最終日は四天王寺での万灯会(まんとうえ)
初めてのサブちゃんは、「へー」「おもしろーい」と感嘆の声を上げながらの参加。
はなから拒否する人でなくて本当にありがたい。
これで、年の半ばの一大イベント盂蘭盆会が終了した。
その前に見た映画「借り暮らしのアリエッティ」についてはトピックスに載せる。
 2010.8.12 本当に久しぶりに木目込みをしました。どちらもプレゼント用です。
   
 遠くの友人へのプレゼント。こういうたぐいは興味のない人にとっては邪魔なだけだろう。だから、きらりと光るスワロフスキーで飾っておく。そうすると、少しは眺めてくれるだろうかと淡い期待を寄せて。  こちらは小椋佳さんのラストコンサートに持っていこうと思う。何かが終わるということはなにかが始まるという意味だから、目出度い、ということで。上手く渡せるといいが、渡せなければ、うちに飾っておくことにする。
 2010.8.7 巣の真下に毎日何かある。
  白い幼虫であったり、全部黒いものだったり、一部白いものだったり・・・
巣の出口が下を向いているから、引力で引っ張られて落ちるのか?とも思うが、それが全部ではないところを見ると、落ちる運命にあったものが落ちたということではないだろうか。
不幸にして、巣の中に居ながら死んでしまったものを働き蜂が処分したとか。

ところで、どうもこの巣はミツバチではなく、アシナガバチのもののようである。
ミツバチとは巣がずいぶん違う。
ただ、スズメバチのように攻撃性が強いと言うことはないとネット検索したサイトに書いてあるし、低い位置の巣なら通り過ぎる時刺される心配もあるらしいが、手の届かない高いところのものは共存可能とのこと。今回は殺生せずに見守りたいと思っている。 
 2010.8.4 またミツバチの巣がぁ〜〜〜〜
    これで巣を発見したのは4回目。今まではひたすら恐怖感を感じて、業者の人に取りに来てもらっていたが、なぜか今回は、いきなりそうは思わない。なぜかな。と言いつつ理由は分かっている。
・ミツバチが少なくなってきているという噂。
。精密画家がミツバチをこよなく愛して、たくさん描いた本がうちにある。精密な絵を描こうと思えば、かなりじろじろ見たはずである。でも、おそらくその人は刺されることがなかった。つまり、危険を感じなければ、危害はは加えないということなのだろう。女王蜂が引っ越すまで待ってやろうか・・ 
 波型塩ビの覆いの近くにそれはあった!!!外の植木鉢の植物に水をやっていてもなんか蜂がおおいなーと思っていたら・・・ 狭苦しいところに小さく巣が出来ている。あの見えている白いものは幼虫だろうか。部屋が狭くてはみ出しているように見える。働き蜂が何匹もかいがいしく動き回っている。 
 2010.7.23 赤川先生へのプレゼントうちわ
   これは本来はレギュラーサイズのうちわだったのだが、骨を少し短くして、小型のうちわに成形した。大きなものは持って帰ってもらうのに邪魔になるだろう。表は平安時代の赤川先生。後ろにホームズが後ろ向いて座っている。
裏面は赤川先生の背後から見た図。
ホームズがうちわであおいでいるのだ。
ネコでもあおげる機械を考案した。
とはいえ、絵だけでだが。詳しく説明する暇がなかったが、わかってくれるかな?(むりだろうな・・)
 2010.7.14 オリジナルうちわが出来ました。
   来年の展覧会に出品する隙間脳トレとして「妄想百人一首」を描いている加減か、絵を描こうとすると平安貴族の絵になる。
とはいえ、それがどういうものであったのかは正確には知らないのだが。
4つの御簾の後ろで、4組の物語が繰り広げられている(ちとオーバー)という趣向。こちらで動かしている。よろしかったら見てください。
この絵を使って、今年の川柳珍道中にも参加する予定である。
 2010.7.8 2010年の暑中見舞い作成において苦労した点
  何時も使う画像は好きな葉っぱのアマドコロ。そしてイラストはお定まりのベタ。
ベタが、泡巣を作っているところ、稚魚の守をしているところ、 興奮してフレアリングをしているところそして、青いベタも登場させた。
自分で自分のハガキの評として、「画像とイラストに関連性がない」と書いたように、確かにそうだなと思う・・・次回からはイラストが画像の一部になっているところ、もしくはその逆、画像がイラストの一部になっているようなそんな作品を作ってみようか・・
今回苦労したのは、赤い四角で囲んだように、テキストボックスを大小二つ使っている。だから文章を書く時、少なからず苦労をした。
コメントを書くことを考えず、画像を配置してしまった結果である。ちなみにこのベタの配置では、肉筆で書くときも、邪魔になる。次回への反省点である。
過去の自分が未来の自分に書いたコメントは、「どこまでメンバー様方の役に立てるか」という気がかりなことと、家族の事などだった。
自分への手紙は将来読み返すと感慨深いものがあるだろう。
 2010.7.3 一日中雨。土砂降りになったり、ぱらぱらになったり・・ そのさ中、だんじりが・・・
 
 今朝、お義母さんから「こっちで花つけといたから、そっちでせんでええで」と電話があった。「ええっ、この雨の中〜??」と耳を疑った。ドドドン、カンカンと音が聞こえてきた。まーたいへんたいへん。写真を撮るのがなんだか申し訳ないような・・(と言いながらしっかり撮らせていただいたが。)関係者の皆様方、本当にお疲れ様でございました。
 2010.6.25 父の日にさぶちゃんがプレゼント
   父の日が第10回持ち寄りパーティの次の日だった。
さりげなく「これおとうさんに」と渡してくれた。これまた我が夫にとって初めての出来事ではないだろうか。(去年は次男が黄色いバラを送っていたようだが、それも私に頼まれて、あと世話しやすいように鉢物でだった。)好きなゴルフ用品のブランド『23区』のシャツ。今年私たち夫婦は初体験のくすぐったいような気持ちにさせてもらった。
ありがとう、さぶちゃん。
 2010.6.16 小椋佳の新曲に想う。
 何年前だったか、小椋佳が大病を患った末、復帰してからのこと。中村マサトシ氏との対談の時のことだった。
「よく、『病気してから、なにか人生観がかわりましたか?』って訊かれるんですよね。『命の大切さがわかった』とか、『健康のありがたみが分かった』とか言わせたいんだろうけど、そういうのは、大病をするしないにかかわらず、いつも思っていたことだしねぇ」と話す場面があった。
「さすが、いいこというなぁ」なんて聞いていたものだ。
で、今回のアルバム「君を歌おうとして」を聴いて、なんだかわかった気がする。たしかに、かれは少し変わった。
「シクラメンの香り」や「愛しき日々」に有るように、時の流れの速さを嘆く精神はそのままに、なんとなく諦観の目で物を見るようになったんじゃないかと感じる。
★「君を歌おうとして」の『隣の席の二人 別れ話 なんて無駄な時間』『自分から言い出したルール あざ笑う街の灯』
★「振子」の『時が全てを流していくと わかり顔してワイン飲む人に うなずきたくはないけれど 心がそっとうなづいている』
★「Please smile CHARLEY(プリーズ スマイル チャーリー)」の『幸せという笑い声もれて 僕は精いっぱいの よかったねを言う』
★「階(きざはし)に嘯(うそぶ)けば」の『幸せの程よさに夢はつかめない』
★「あなたが美しいのは」の『あなたが美しいのは愛されようとする時でなく あなたが美しいのは ただ愛そうとするとき』
なんだかそういうフレーズを聴いていると、「諦めたくはないけれど、諦めざるを得ない事実。それをいらだったり、もどかしがったりするのではなく、自然に受け入れている」そういう感じがするんですよねぇ・・・
 2010.6.16 歯医者のあと、日本画の展覧会に行ってきました。
  歯医者さんでは、私が「ん?」と違和感があった歯は、本当に悪いのかどうかがわからない状態。でそちらは経過観察ということで、よかったのだが、他に2か所虫歯を見つけてもらい、そちらはセメントを詰めて終わり。あと歯石とりなどで1時間程度ですんだ。さて、大阪府庁の南館一階でで6/14~ 6/19まで行われている日本画の『水曜会グループ展』。久しぶりにしっとりと見せてもらった。一枚は、古い屋敷の一室、内部から外を見たところ。もう一枚は、ポインセチアの縁取りになぜかローマの地図が・・・12月に部屋に飾ればいいだろうなという絵。日本画は、にかわを湯でといて、それを水代わりに使いながら岩石の粉末で色づけしていく。それまでに2工程ほどあり、まったく気が遠くなるような作業。「日本画を描いてみたい」と思わない自分にホッとしている。写真を送ってくださった敬子様、感謝です。
 2010.6.12 嬉しい届き物
  いよいよ佐伯泰英作品のシリーズもの「交代伊那衆異聞シリーズ」を買った。どの程度の面白さかはそのシリーズが何巻続いているかによるのではないかと、これは私が思っている指標だが。12冊続いている(手前2冊は別シリーズの新巻)。まだ読み始めていないので、主人公の気質などについてはわからないが、おそらく確信して言える事は剣術の名手であろうと言うこと。佐伯氏が「閉塞的なストレス社会にあえぐサラリーマン諸君にもホッとしてもらえて、読後感のいいものを書きたい」と語っているように、後味の悪い時代劇には出会ってはいない。だから時代劇以前のスペインをテーマにしたものには触手を伸ばす気には今のところならない。 ああ読むのが楽しみだ。
 2010.6.7 いねむり盤音 江戸双紙 『更衣(きさらぎ)の鷹』を読んで
 珍しく上下巻になっているなと思っていたら、大きな山場を迎える場面であったからだ。
徳川家基が11代将軍になれなかったのはわかっていた。そして、その原因となる時期も近づいていたことはわかっていた。できる事ならば、そんなことのないことを祈っていた。しかし、いくらフィクションとはいえ、時代の流れまでは変えて見せてもらえるわけもなく・・・意志を貫かざるを得なかった冷えん、佐々木家の重責を背負わされた盤音。
救いと言えば盤音の妻がおこんであることか。商人、町人たちは、その時代生き延びるためには清濁併どんすること、もしくはそれを装うことだと口をそろえて教えた。なんと今の世の中にも通じる事ではないだろうか。
まみれることなく、自分と大切なものたちを守る努力をしていきたいものだ。
  2010.6.7 想うこと
  昨日(日曜日)ラジオを聴いていたら、懐かしい声が聞こえた。
「今あなたが何歳でも常にこれからのことを考えて食事をしたり、お肌の手入れをしたりしなければいけません。今無茶なことをすると、それはすべてこれから先のことにつながるのです」
そう、鈴木その子氏の言葉だった。それはSONOKOの提供の「美・ハッピー」という番組のコマーシャルの一つ。
ところで、その番組で質問のお葉書という時間があって、そこで「シャンプーのあとドライヤーをすると、毛が傷むのでしょうか」というもの。回答者は「ドライヤーは、やりすぎるとよくないが、程度を考えれば、ドライヤーは必要」だった。で、「ん?なんで?」と自然乾燥派の私は聴き耳を立てた。
そうすると、「ほら、手を洗ったときに、そのままにしていると。手が荒れるでしょ。それと同じなんですよ」とのこと。ここで、おかしいなと思った。手を洗った場合、ハンカチやタオルで手を拭くじゃないかと。
髪の毛の自然乾燥といっても、びちゃびちゃのままいるわけじゃない。可能な限りタオルなどで髪の水分を取り除いているのだ。さらに、「水分が蒸発するときに、髪の水分もとられちゃいますから」ときたもんだ。
ならば、それはドライヤーでも同じこと。現に私は、ドライヤーをほとんど使ったことがないにも関わらず、枝毛の一本もない。こういう放送を聴いたら、鈴木その子氏なら、「またあんなこと言って」とまゆをひそめられるのではないだろうか。ラジオやテレビで放送されることを鵜呑みにしてはいけない。
  2010.6.1 FileZilla 設定成功!
  やれやれ、なににしても初めてというものは手ごわい。慣れてしまえば、どうということはないのだが。
同じサーバをお使いのメンバー様も何とかマスターされたようなので、肩の荷が下りました。
しかし、ウイルスのためになぜにこのように苦労をせねばならぬのか・・・
 2010.5.28 ウイルス(ガンブラ―)対策で別のファイル転送ソフトを使わねばならなくなった。
  しかしサーバーの親切だと思わねばならないのだろうが。厄介な話だ。Filezillaというアメリカ?のソフトで、何の気なしにダウンロードしたら、英語だらけでうへ―状態。クリックする場所を間違えていたことが分かり、やり直して、懐かしい日本語で操作。さて、今書いているこのファイルの更新が上手くいくかどうか。実験。6月1日で今のFTPのままだとアップロードできなくなるとか。どうなるのか、当たって砕けろだ。
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駄目だった・・・困ったもんだ。もう一度トライするか。
  2010.5.23 「プロのチアリーダーが教える元気になる方法」
平成6年卒業のチアリーダーズクラブJUMPS(ジャンプス)代表石原由美子氏講演
Cheer Leader(チアリーダー)とは100年ほど前、アメリカンフットボールの応援から始まった。
各クラスから何人かが選出されたらしい。したがって女子に限らず、男子のチアリーダーズ達もいる。
ブッシュ元大統領もチアリーダーだった。意味は文字通り人を元気づけるリーダー。
いまはチアリーダーの持つ元気さをさまざまな分野に活かしている。
@教育:チアダンススクールの運営。「笑顔」「元気」「思いやり」を教える。
A福祉:知的障害者施設、団体への講師派遣。
B貢献:元気配達便事業。(同窓会の先輩たちを元気づけた?)

なぜ今、世の中に元気がないのか。
社会のせいにしすぎ。主体的に行動する姿勢に欠けている。
自分の元気で周りを元気づけられると気づいていない大人が多い。
大人たちが自ら主体的に行動を起こさない。おこせない。
社会においての「チアリーダー」がいない。→何時までも社会が元気がない。

チアリーディングの特徴から体系化されて元気を出す方法
@笑う→βエンドルフィンの発生を促す。=pain killer 痛みを忘れる
A大きな声を出す→大きな呼吸をする。デトックス(毒素を外に出すといった意味)
Bプラスの言葉→GO! FIGHT! WIN!など。
C(仲間と)同じ動きをする。同調性。一体感が高揚感を生む。

毎日を元気で過ごすために
@「まずは自分から」が大切。
A続けられることを楽しんで。
Bサイクルを回し続ける。(つまり、繰り返すという意味。)
この後谷町のチア教室のかわいい子供たちがチアを元気に踊ってくれました。
元気をもらいましたよ。
ーーーー
さて、ここで考えてみましょう。え?何をって?
JPCのことですよ♪
・「笑う」はどうでしょう。ティータイムに笑い声がよく聞こえます。
・「大きな声」の方多いですよ
・「プラスの言葉」これこそJPCのモットーなんですよ。「今更」「どうせ」「苦手」などは禁句です。「いまだからこそ」「これから」「工夫」「臨機応変」なによりも「脳トレ」
・「仲間と同じ動き」:ここを見て、「あら、これは私とちがうわ。私は他人と同じことをするのが嫌いなの」とおっしゃるお方も多いことと思います。でもよく考えてみてください。JPCのメンバー様である限りは皆様、同じ課題をこなすべく努力をされているはず。何も同じ動きって、チアの時みたいに全員右手を上げたり左手を上げたりというだけじゃありますまい。何かに向かって進むこと、これはね、なかなか一人ではできにくいものなんですよ。

こうなってくると、いやでも
・まずは自分から動かないと話になりません
・続けざるを得ないでしょう。同じ続けるなら楽しんでやりましょう。
何度も申しますが、「楽しむ」って、「ちょっとしんどいことを成し遂げる喜びを得る」ことなんですよ。
そして、
・繰り返されます。そう、おそらくJPCが存在する限り。

こう考えると、JPCのメンバー様方が元気な理由がよくわかりますよね☆
  2010.5.21 まーびっくりしたこと
  今日飛び込みで入ってきたおにいさん。IT関係の会社の営業の人だったが。
なんと、昔うちでアルバイトをしてくれたことのある女性の息子さんだった。21歳だという。
当時そのお母さんははもちろん独身。会社の経営者の娘さんだったので、とてもよく気のつく人であった。
それから、いく年月、彼女にもいろいろあり、私にもいろいろあった。世の中もバブル崩壊はもとより、常識が根底から覆されるような時代になり・・・
それでも彼女の息子はすくすく育ち、11年間野球で頑張ったが、今はサラリーマンで頑張っているようだ。
なんと彼は顔がお母さんとそっくりなのだ。心なしか話し方まで。しばらくタイムスリップした。
なんだかほのぼのした気持ちになり、そして思った、「こっちが年取るはずやわ」と。
  2010.5.18 『血圧心配症ですよ!』 0診療所 M医師による特別講演
  ●キーワード
@笑い(笑う門には福来る。・・化学的に証明されている。プラス思考・・マイナス思考だから血圧を測りたくなる。薬をのみたくなる。)
笑いは無料のサプリメント。即効性あり。副作用なし。あるのは「作用」のみ。
4歳児の頃一日に300回わらうという。大人になったら、一日15回がやっと。
・感動を忘れず、頭を使う生きがいを見つける。
A加齢変化(加齢による老化状態・現象。老化は『症』ではない。)
「症」を付けるとみんな病気になってしまう。骨粗しょう症、高血圧症、高コレステロール症、動脈硬化症・・
「トシ」は病気ではない。骨粗しょう状態、高血圧状態、高コレステロール状態、動脈硬化状態・・であるだけなのだ。M医師いわく、「80歳過ぎた人が、『先生、動脈硬化がないでしょうか』と訊くんですよ。そんなのね、ないわけないでしょ。全身これ動脈硬化が服着てるようなものなのに。」

B合目的的(身体はいつも最善の努力をしている。目的をもって行動)
例えば
風邪をひいて熱が出るのは冷たい状態がすきなバクテリアやウイルスをやっつけるため。
下痢になるのは体内にあっては有害なものを外に出そうとする行動。
こういう身体の作用に対して、解熱剤や下痢止めを当たり前のように与える現在の医療・・問題あり。

C知らぬが仏(知ってびっくり、知らなきゃ安心。病気を探さない。)
健康診断したら長生きするのですか。
コレステロールを下げたら長生きするのですか。
何一つ根拠はない。

D化学的(化学的かどうか?騙されないこと)
納豆を食べるとやせるという不思議。→やせるわけがない。
納豆ブームが去ると、今度はバナナがスーパーから姿を消した。→バナナでやせるわけがない。
ゲルマニウムが癌や高血圧に効くわけがない。

なんとか健康に長生きしたいとお金を使うが、24年間世界一の長寿の日本女性がいったいこれ以上何をしようってんですか。
とM医師。

・付けたし 医療・健康にお金を使わない。人それぞれ
・平均寿命 男 79.29歳(4位) 女 86.05歳 24年間世界一

●M医師を震撼させた医療
・BCGは結核予防に打つものだと思っていた。そして、それを打てば結核にはかからないと、信じて疑わなかった。
ところが、同じ職場の婦長さんが(いまではどういうのか、看護師長とでもいうのかな?)結核にかかったのだ。当然BCGは接種済みだった。
・ハンセン氏病の反省。昔M医師はハンセン氏病を隔離するのは当たり前のことだと信じて疑わなかった。

ところが調べてみると、BCGを予防に打つ国も、ハンセン氏病患者を隔離して閉じ込めておくのも、日本だけだとわかった。
そのほか睡眠薬にはサリドマイドがよく効くし、胃腸薬にはキノホルムがよく効くと思っていた。

そうした信じて疑わなかったことが目の前で崩れていくのをみて、「どうもおかしい」と思い出したという。

さて
●血圧について
・血圧とは:心臓より高いところにある脳に血液を送らねばならないから圧力が必要。
・高血圧症ではありません→生きるのに必要な高血圧状態です。
・原因と結果
 具合が悪い→血圧が高いからですね?は本当か。つまり、高血圧は原因なのか???
「血圧が高いから頭が痛い」:これは頭痛の原因(例えば血栓)を取り除くために血圧を高くしているのだ。
「血圧が高いから肩が凝る」:肩が凝っているから、血圧を高くして血流を良くしようとしているのだ。
つまり、高血圧は原因ではなく、結果なのだ。

・降圧剤 ほとんどの人に必要なし。
たいてい血圧を下げる薬を飲みだすきっかけは健康診断。
ところで、血圧を測る段になって、平静で落ちるいている人たちがいったいどれぐらいいるだろう。
多かれ少なかれ緊張して血圧は上がるはず。本来のまなくてもいい人がのんでいるのだから、降圧剤は明日からでもやめるべし。
よく降圧剤を飲み始めると、一生飲み続けねばならず、急にやめたらリバウンドがおこると信仰に近いほど信じ込まされていた。(かくいう私もその一人)

・血圧というのはストレスに敏感に反応する。まだ人間が類人猿だったころ、獲物を得るためには闘争するか、かなわないとなると逃走するかしなれば生きていけなかった。そういうとき働くのは交感神経。とうぜん血圧はあがる。その名残が今も脈々と続いているのだ。現代社会では闘争や逃走は少なくなったかもしれないが、あらゆるストレスに対処しなければならない。人間は血圧をあげたり下げたりして、上手く生きていけるようにしているのだ。

・血圧恐怖症にならないこと。気にしない。自分で測らない。降圧剤は、もちろんのまない。

・東海大学の教授 O医師も述べている
「降圧治療で脳梗塞の発症率が2倍になる」
なぜか。
脳血管に詰まろうとしている血栓を押し流すべく血圧をあげているのに、降圧剤で下げられてしまうからなのだ。血栓は脳血管にとどまらざるを得なくなるわけ。

・恐るべき○の素方式:薬剤業界と御用学者の癒着
昔々の味○素を覚えておられるだろうか、缶入りで小さな耳かきの用はスプーンがついていた。その匙一杯で鍋一杯のだしがおいしくなるというキャッチフレーズ。それが振り出し式容器に変わり、さらにはその容器の穴が大きくなって味の○の売れ行きがぐんと上がったことは有名な事実。
それと同じことが日本国民を高血圧で食い物にする業界で行われている。
昔、血圧の基準は160だった。それがいつの頃から150、140、と最高血圧の基準が変わっていて、今は上が130mmHg以下、下が85以下となっている。そのうち120になるのじゃないかという勢い。
(70歳や80歳で血圧が120というほうがコワイ。)
つまり、人数が同じで、薬を沢山飲ませようと思ったら、基準値を下げるのがもっとも手っとり早い。
まさしく健康診断を受けようという人たちはカモネギなのである。

・第一血圧の測り方に基準がない。
何時測るか、どのようにして測るかの基準がまったくない。
注意点としては
・10分間安静にして、座位。・血圧恐怖症にならないこと。気にしない。自分で測らない。
・血圧恐怖症にさせないこと。血圧ノートの廃止。
・君子医者に近寄らず。無医村ほど長生き。
・薬クスリ←→リスク危険。薬は万能ではありません。むしろ毒です。

●高血圧状態の予防
・心 ストレス:歯科受診、恐怖で血圧上昇。不安。心配。
・健康診断の害:高血圧症になるきっかけ。というか高血圧症にされてしまう。
健康診断したほうが長生きするというデータはどこにもない。
●食べ物
・血圧に関しては、塩のことが取りざたされるが、もちろん取りすぎは言うまでもないが、世界でも日本は塩を良く使う国民。
それで、世界の長寿国であることをみれば、食べておいしいという程度の塩の使い方が悪いとはいえないのではないだろうか。
・科学的根拠に基づく健康食品は今のところない。
・少食(腹八分目)だけが化学的に耐えられる。

講演の時間がなくなったので、十分質問もできなかったのが残念である。
要は、
・高脂血症→「症」ではなく、生きるために必要な高脂状態なのである。
・コレステロールも一昔前は260mg/dlであった。それが250になる、240になり、・・今では220.
 脳卒中と関係なく、卵とも関係なく、運動ともほとんど関係ない。
・メタボリックシンドロームこそめためたにぼる候群。化学的根拠はない。
・癌ですら必然的なものだとおっしゃる。もっと話を聞きたかったな・・
・脳ドッグというのは日本だけ。知らぬが仏世界一のCT台数。減価償却のため(無理やり経費を作るため)。
・抗加齢医学 @タンパク質80g A果物・野菜 B筋肉トレーニング(どの程度のトレーニングか聴けず)
・「病感」を持たないこと。「老感」を持たないこと。

さていかがでしょう。皆様、考え方が変わられましたでしょうか。
  2010.5.12 最近すきなTV番組
 今年に入ったぐらいからか、午後9時から始まるTVの料理番組を欠かさず(ときどき欠けるが)見ている。毎日のランチづくりにとても参考になる。ところが、それは月曜から木曜までしかない。金曜日は園芸と野菜の時間になる。それなりに「ほぉ」と感心して見ているが、困るのが土曜日。子育てについての番組なのだ。だからほかの番組を見ていたが、この間から、楽しみなものが出来た。「怪物くん」である。主役は「嵐」の大野智くん。いままでまったく「嵐」というグループに興味がなかったが、まー、演技が上手!歌もうまいようだし、なんといっても絵が上手い。人間の顔を描くときどの部分が一番難しいかというと、口の中。歯がむつかしい。大野君はそれを実に上手に表現する。大真面目の演技もコメディもこなせて、目が離せない。もう一人、怪物くん達と仲良くなった姉弟がいて、その姉役の川島海荷さん。なんて自然な演技をするのだろう。3か月ほどで終わるのだろうが、それまで楽しませてもらおうと思う。
 2010.5.9 母の日に
   息子たちがプレゼントをくれた。
左のガラスの器に入ったプリザーブドフラワーは長男から。と言いたいところだが、2009年11月にうちに来てくれたサブちゃんからというべきだろう。独身時代長男は一度も母の日を気にしたことさえなかった。さぶちゃん、ありがとうね。
右のシュシュ二つは次男から。ここ3年ほど次男からのプレゼントは鉢に入ったカーネーションであった。切り花の嫌いな私のために鉢に入ったものを選んで。オレンジ、ピンク、薄グリーンときて、「あんまりカーネーションばっかりでもなー」と、今年は、これ。「この売り場に『いつまでも若々しくいてほしいから』ってPOPがあったわ」とのこと。もうどんどんおばあさんになっていく母親。、受け取るのが気恥ずかしいが、まあ、ありがとうともらっておいた。